36年ぶりの再会(2015/01/30)
難病医療の世界では短期間で完治する病気は少ないので、長い付き合いになる患者さんも多い。
いつものように朝9時からの師長さん方の連絡会議に参加しようと込み合っている月曜日の外来の待合室を通りかかった時に、後から声をかけられた。「Hです。先生が大学病院におられた時にお世話になりました」という。咄嗟に誰だか思い浮かばなくて、思い出すまでの時間稼ぎに「どこの方でしたっけ?」と探りを入れると、「桜島です」という。桜島という言葉で、30数年前の世界が走馬灯のように蘇ってきた。
当時、結婚後間もないころの女性(28歳、現在は64歳)で、重症筋無力症のために外来を受診されていた。この病気の場合、外見的には全く異常はみられないので周りに理解されず、「働かない嫁」とか「仮病」などと家庭内でも肩身の狭い思いをする女性が多い。Hさんもその一人で、辛い思いをされながら暮らしていたように記憶している。
私は昭和49年から2年間、東京都立府中病院の神経内科で研修を終えたのち、大学に戻って来ていた。当時の都立府中病院の神経内科は重症筋無力症の患者さんが多くて、この病気の専門病院のようであった。丁度この頃、病態も判明しステロイド大量療法の有効性が発表された時期である。
「でも、私がよくわかったね」と言葉を向けると、「先生のことが新聞に載ったりテレビに出られるたびに、『私の先生が頑張っている』と思ってきました。ここの病院に移られたこともよく知っていました」と言われる。
患者さんとはあり難いものである。先日も南九州病院で30数年前から診ていた多発性筋炎の女性から、はっさくが一箱送られてきた。早速電話をすると、弾んだ声で「昨年は家庭菜園で獲ったキャベツを送ったのに、虫が出てきたと先生からクレームを言われたので、今年はミカンにしたのよ」といつものため口である。傍で聞いていた家内が「友だちみたいで楽しそうね」と皮肉っていたが、お互いに年を重ねてくると医師・患者というバリアはなくなる。
「当時、大量のステロイド剤を飲んでいましたので、先生には妊娠を思いとどまるように言われていました。でも私は子供が欲しいと思っていたら、4歳の時に子供を授かりました。この子供です。幸い、大きな問題もなく、現在1歳4ヶ月の孫もおります」と言う。この日、若年性高血圧症で循環器内科を受診したという29歳の大柄な男性が私に会釈した。「でもよく頑張ったのだね」と言うと、首の付け根を見せながら「クリーゼで気管切開も受けたんですよ。でも私が入院していたら、ベッドにこの子が寄り付かないのです。それ以来、絶対にもう入院はしないと決心したのです。そしたらどういう訳か、だんだん元気になってきました。現在、ステロイド10ミリでコントロール(大勝病院で有村先生に)してもらっています」という。「先生に会えて、嬉しかった。頑張ってください」と、逆にエールを贈られて別れることだった。
神経難病の中でも重症筋無力症はその病態もかなりわかってきて、胸腺摘出やステロイド剤などの免疫抑制剤の組み合わせで、かなりうまくコントロールできるようになってきている。「辛抱強く、希望を失わずに療養することが大切だ」と改めて思うことである。
いつものように朝9時からの師長さん方の連絡会議に参加しようと込み合っている月曜日の外来の待合室を通りかかった時に、後から声をかけられた。「Hです。先生が大学病院におられた時にお世話になりました」という。咄嗟に誰だか思い浮かばなくて、思い出すまでの時間稼ぎに「どこの方でしたっけ?」と探りを入れると、「桜島です」という。桜島という言葉で、30数年前の世界が走馬灯のように蘇ってきた。
当時、結婚後間もないころの女性(28歳、現在は64歳)で、重症筋無力症のために外来を受診されていた。この病気の場合、外見的には全く異常はみられないので周りに理解されず、「働かない嫁」とか「仮病」などと家庭内でも肩身の狭い思いをする女性が多い。Hさんもその一人で、辛い思いをされながら暮らしていたように記憶している。
私は昭和49年から2年間、東京都立府中病院の神経内科で研修を終えたのち、大学に戻って来ていた。当時の都立府中病院の神経内科は重症筋無力症の患者さんが多くて、この病気の専門病院のようであった。丁度この頃、病態も判明しステロイド大量療法の有効性が発表された時期である。
「でも、私がよくわかったね」と言葉を向けると、「先生のことが新聞に載ったりテレビに出られるたびに、『私の先生が頑張っている』と思ってきました。ここの病院に移られたこともよく知っていました」と言われる。
患者さんとはあり難いものである。先日も南九州病院で30数年前から診ていた多発性筋炎の女性から、はっさくが一箱送られてきた。早速電話をすると、弾んだ声で「昨年は家庭菜園で獲ったキャベツを送ったのに、虫が出てきたと先生からクレームを言われたので、今年はミカンにしたのよ」といつものため口である。傍で聞いていた家内が「友だちみたいで楽しそうね」と皮肉っていたが、お互いに年を重ねてくると医師・患者というバリアはなくなる。
「当時、大量のステロイド剤を飲んでいましたので、先生には妊娠を思いとどまるように言われていました。でも私は子供が欲しいと思っていたら、4歳の時に子供を授かりました。この子供です。幸い、大きな問題もなく、現在1歳4ヶ月の孫もおります」と言う。この日、若年性高血圧症で循環器内科を受診したという29歳の大柄な男性が私に会釈した。「でもよく頑張ったのだね」と言うと、首の付け根を見せながら「クリーゼで気管切開も受けたんですよ。でも私が入院していたら、ベッドにこの子が寄り付かないのです。それ以来、絶対にもう入院はしないと決心したのです。そしたらどういう訳か、だんだん元気になってきました。現在、ステロイド10ミリでコントロール(大勝病院で有村先生に)してもらっています」という。「先生に会えて、嬉しかった。頑張ってください」と、逆にエールを贈られて別れることだった。
神経難病の中でも重症筋無力症はその病態もかなりわかってきて、胸腺摘出やステロイド剤などの免疫抑制剤の組み合わせで、かなりうまくコントロールできるようになってきている。「辛抱強く、希望を失わずに療養することが大切だ」と改めて思うことである。