さざんか(2015/01/29)
まばゆいばかりの真紅の「さざんか」の絵を眺めている。一見物静かに思えた日高君のどこに、このような情熱が隠されていたのだろうか。そういえば2000年に彼が著わした「花のちから」の最後に、「花の美しさの秘めもつ力」について触れている。「実は私も花の不思議な力に魅せられてしまったひとりです」と。
亡くなってから9ヶ月になろうとしている。日高君が窓際のベッドで闘病していたあの筋ジス病棟2階の4人部屋では、昨年は日高君(46歳)と誠君(45歳)、そして今年になって岡村君(41歳)と相次いで旅立った。「そんなに急がなくてもいいのに」と思えども、筋ジス患者の命は延びてきたとはいえ、それでもまだ短い。
小学校の頃、山里の私の家の庭に咲いていた花は椿だったのだろうか、さざんかだったのだろうか。椿は花ごと落ちて、さざんかは花弁がバラバラに散るのだそうである。半世紀以上も前の時代、滅多に降らない白い雪の中の、紅い花の鮮やかさが今も思い出される。
あの頃、冬の寒い日には、まさに牧歌的な童謡の世界がひろがっていた。
さざんか さざんか さいたみち、 たきびだ たきびだ おちばたき、あたろうか あたろうよ、しもやけ おててが もうかゆい
この「たきび」という歌の中に出てくる「おちばたき」や「しもやけ」という言葉も、今では死語になりつつある。しもやけで赤くなった手に白い息を吹きかけながら、霜柱の立つ田舎道を、学校へと急いだものである。
彼の遺した多くのコンピューターグラフィックで描かれた絵に逢いたくなって、「ノーマライゼーション」編集者の薄さんにお願いしたら、早速送ってきてくれた。最近、南風病院の院内ランにも、添付が簡単にできるようになったので、時々彼の遺したグラフィックの中から、私の気に入ったものを選んで紹介してみようと思い立った。彼のグラフィックは清楚でシンプルだが、温かみが宿っている。
喧噪たる医療の世界から、時には頭を少し休められる「よすが」にでもなればと願っている。

亡くなってから9ヶ月になろうとしている。日高君が窓際のベッドで闘病していたあの筋ジス病棟2階の4人部屋では、昨年は日高君(46歳)と誠君(45歳)、そして今年になって岡村君(41歳)と相次いで旅立った。「そんなに急がなくてもいいのに」と思えども、筋ジス患者の命は延びてきたとはいえ、それでもまだ短い。
小学校の頃、山里の私の家の庭に咲いていた花は椿だったのだろうか、さざんかだったのだろうか。椿は花ごと落ちて、さざんかは花弁がバラバラに散るのだそうである。半世紀以上も前の時代、滅多に降らない白い雪の中の、紅い花の鮮やかさが今も思い出される。
あの頃、冬の寒い日には、まさに牧歌的な童謡の世界がひろがっていた。
さざんか さざんか さいたみち、 たきびだ たきびだ おちばたき、あたろうか あたろうよ、しもやけ おててが もうかゆい
この「たきび」という歌の中に出てくる「おちばたき」や「しもやけ」という言葉も、今では死語になりつつある。しもやけで赤くなった手に白い息を吹きかけながら、霜柱の立つ田舎道を、学校へと急いだものである。
彼の遺した多くのコンピューターグラフィックで描かれた絵に逢いたくなって、「ノーマライゼーション」編集者の薄さんにお願いしたら、早速送ってきてくれた。最近、南風病院の院内ランにも、添付が簡単にできるようになったので、時々彼の遺したグラフィックの中から、私の気に入ったものを選んで紹介してみようと思い立った。彼のグラフィックは清楚でシンプルだが、温かみが宿っている。
喧噪たる医療の世界から、時には頭を少し休められる「よすが」にでもなればと願っている。
