人材育成法(後)(2015/01/27)
人それぞれ能力は多様であるが、能力の3本柱というものがある(清水義昭)。専門的能力、マネジメント能力、そして人間的能力である。これらの能力はその人の年齢により育まれていくわけで、専門的能力は20歳から40歳の若い時代に身につけられる能力であり、マネジメント能力は30代以降、人間的能力は30代から始まって40歳以降に開花していくものだという。
また人材という言葉の捉え方で、面白い表現を使っている。「ジンザイ」は情熱と意志力(マインド)と専門的な能力(スキル)に大別される。この考え方では、両者を兼ね備えたジンザイが「人財」であり、スキルはまだ少し劣っていてもやる気のある人は「人材」と評価できる。ところがスキルは長けてもやる気がなければ、ただそこにいるだけの「人在」であり、両者とも欠けていたら救いようのない「人罪」ということになる。われわれはせめて「人材」といわれるように努力し、間違っても「人罪」になってはならない。
次に「個人と組織」との関係について述べることにする。
私が南九州病院に在籍していた頃、毎月機構本部で開催される役員会に出席していたときのことである。「ジェネラリストとスペシャリスト」ということが話題になった。
ジェネラリストとは会社でいえば総合職で、一般的には文系の人に多く、将来的には組織の幹部へとキャリアアップしていく人が多い。一方、スペシャリストは理系出身の人に多くある分野での専門性を高めていくが、幹部になっていく人は少なかった。もちろん理系でも年齢を重ねるうちにジェネラリストへと変身し、社長などのなる人も増えている。
ただ日本の会社では、どちらかというとジェネラリストが優遇される傾向もあるようで、生涯獲得金額では4000万円の差が生じるとする統計もあるそうである。そしてスペシャリストの処遇を軽視したツケとして、定年を迎えた優秀な技術者が韓国などの企業に高給で引き抜かれた結果として、サムスンなどの企業の躍進の原動力にもなったのだという。
また桐野理事長の話では、国立国際医療センターの総長時代、優秀な臨床家だが会議などには一切出席しない医師がいた。どのように処遇すればいいのか悩んだが、特任の部長職を設けたという。そしてドラッガーの言葉として、「名誉で報いる」のも一つの方法だと紹介した。
私はこのディスカッションを聞きながら、「個人尊重の組織論」(太田肇)のことを思い出していた。それは、個人の仕事や組織(会社や病院など)への関わり方には二通りあるというものである。
一つは「直接的な統合」で、昔の日本の会社のように個人は組織に直接取り込まれるが、会社はその身分を保障し終身雇用で報いてきた。ところが時代とともにこのようなやり方ではさまざまな齟齬が生じて、「間接的な統合」の時代になってきている。すなわち個人は仕事を介して組織と関わることになる。個人は専門の仕事のうえで能力を発揮することを求められるが、組織への一体化は要求されない。仕事で貢献しておればそれ以上の関係は要求されず、人格的には自由になれるのである。ただし、個人がこのような自由を保てる条件として、仕事の上で業績を上げそれによって組織に利益をもたらすことが必要だということを忘れてはいけない。そして個人は、仕事の上では高次の欲求(自尊や名誉、自己実現)も同時に満たすことができるのである。
昨年青色発光ダイオードの発明でノーベル賞を受賞した中村修二氏と会社との関係が取りざたされた。日亜化学工業に対して青色LEDの製品化に寄与したが、この功績について給与以外に受け取った報酬が対価に見合っていなかったとして訴訟へと発展したからである。「組織あっての発明だという」意見や、「発明セクションばかり評価されたら総務とか地味な部門はどうなるんだよ」といった意見もあり、個人と組織の関係は人縄筋にはいかない。
南風病院としては、自分の専門分野(仕事)で力一杯能力を発揮してもらい、それが病院の業績にもプラスとなることが理想的である。そして個々人のスキルアップのためには、最大限のサポートはいとわないつもりである。

また人材という言葉の捉え方で、面白い表現を使っている。「ジンザイ」は情熱と意志力(マインド)と専門的な能力(スキル)に大別される。この考え方では、両者を兼ね備えたジンザイが「人財」であり、スキルはまだ少し劣っていてもやる気のある人は「人材」と評価できる。ところがスキルは長けてもやる気がなければ、ただそこにいるだけの「人在」であり、両者とも欠けていたら救いようのない「人罪」ということになる。われわれはせめて「人材」といわれるように努力し、間違っても「人罪」になってはならない。
次に「個人と組織」との関係について述べることにする。
私が南九州病院に在籍していた頃、毎月機構本部で開催される役員会に出席していたときのことである。「ジェネラリストとスペシャリスト」ということが話題になった。
ジェネラリストとは会社でいえば総合職で、一般的には文系の人に多く、将来的には組織の幹部へとキャリアアップしていく人が多い。一方、スペシャリストは理系出身の人に多くある分野での専門性を高めていくが、幹部になっていく人は少なかった。もちろん理系でも年齢を重ねるうちにジェネラリストへと変身し、社長などのなる人も増えている。
ただ日本の会社では、どちらかというとジェネラリストが優遇される傾向もあるようで、生涯獲得金額では4000万円の差が生じるとする統計もあるそうである。そしてスペシャリストの処遇を軽視したツケとして、定年を迎えた優秀な技術者が韓国などの企業に高給で引き抜かれた結果として、サムスンなどの企業の躍進の原動力にもなったのだという。
また桐野理事長の話では、国立国際医療センターの総長時代、優秀な臨床家だが会議などには一切出席しない医師がいた。どのように処遇すればいいのか悩んだが、特任の部長職を設けたという。そしてドラッガーの言葉として、「名誉で報いる」のも一つの方法だと紹介した。
私はこのディスカッションを聞きながら、「個人尊重の組織論」(太田肇)のことを思い出していた。それは、個人の仕事や組織(会社や病院など)への関わり方には二通りあるというものである。
一つは「直接的な統合」で、昔の日本の会社のように個人は組織に直接取り込まれるが、会社はその身分を保障し終身雇用で報いてきた。ところが時代とともにこのようなやり方ではさまざまな齟齬が生じて、「間接的な統合」の時代になってきている。すなわち個人は仕事を介して組織と関わることになる。個人は専門の仕事のうえで能力を発揮することを求められるが、組織への一体化は要求されない。仕事で貢献しておればそれ以上の関係は要求されず、人格的には自由になれるのである。ただし、個人がこのような自由を保てる条件として、仕事の上で業績を上げそれによって組織に利益をもたらすことが必要だということを忘れてはいけない。そして個人は、仕事の上では高次の欲求(自尊や名誉、自己実現)も同時に満たすことができるのである。
昨年青色発光ダイオードの発明でノーベル賞を受賞した中村修二氏と会社との関係が取りざたされた。日亜化学工業に対して青色LEDの製品化に寄与したが、この功績について給与以外に受け取った報酬が対価に見合っていなかったとして訴訟へと発展したからである。「組織あっての発明だという」意見や、「発明セクションばかり評価されたら総務とか地味な部門はどうなるんだよ」といった意見もあり、個人と組織の関係は人縄筋にはいかない。
南風病院としては、自分の専門分野(仕事)で力一杯能力を発揮してもらい、それが病院の業績にもプラスとなることが理想的である。そして個々人のスキルアップのためには、最大限のサポートはいとわないつもりである。
