病院タウン(2015/01/16)
井上二郎アナウンサー(NHK)が居酒屋の店主に扮して、カウンターに座る3人のゲストと軽妙なトークを展開する『先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)』という番組は病院経営のヒントになることも多い。
先日は明治の中期に、松山の道後温泉を町おこしの中心に位置づけ、現在の活況につなげた物語だった。お客さんの一人は、星野リゾート代表取締役社長・星野佳路さんである。
この道後温泉、観光による町づくりの「日本初の成功モデル」と言われている。かつては農村の中の寂しい湯治場に過ぎなかったその地を一大観光スポットへと変身させたのが、明治23年に地元の町長となった伊佐庭如矢(いさにわ・ゆきや)だった。観光で町おこしをするという発想がまったくなかった時代に、「道後湯之町は、人を呼んで潤うべし」という方針を掲げ、住民たった1500人の町でなんと現在の金額にして27億円をかけて道後温泉本館を改築。激しい反対運動にも向き合って住民をあの手この手で説得し「100年以上に渡って人が集まる町」を作り上げた。時代の壁を乗り越える(インターネットから改変)。
★ 知恵泉その一:狙い目のコンセプトは足元にある。
星野さんによると「明確なコンセプト」を作ることが重要で、道後温泉の場合には神話から「神の湯」として位置づけた。コンセプトは何でもいいが、みんなに共感を持ってもらうものがよさそうである。
当院にあてはめれば、「人にやさしくあたたかくの理念のもと、科学の進歩に沿った高度急性期医療を提供できる病院」ということになるだろうか。また星野さんによると、ホテルなどの場合、お客さんは徐々に増えていくことが好ましく、一時的なブームになると落ち込みも激しくなる。またホテルなど客足が遠のいて厳しい状況の時には、離れて行った客は追わず、少なくなっても来てくれる客を大切にして、どうしてその客は来てくれるのかを考えて、その長所を伸ばしていくことが大切である。
病院を受診してくれる患者さんについても、同じことが言えるだろう。
★ 知恵泉その二:覚悟を示せば人は巻き込める。
当初、時代を先取りしすぎた発想に住民は理解できずに、町長(如矢)の計画に真っ向から反対した。そこで全ての情報を公開し、城大工の坂本又八郎を起用、姿を現した木造三層楼は当時でも大変珍しがられた。
如矢自ら不退転の覚悟で、誠心誠意を持って町民を説得してこの偉大な業を完成させた。『この道後温泉が100年たっても真似の出来ない物を造ってこそ意味がある。人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしも良くなる』と。当初反対していた住民が、建築費用にと寄付の申し出が相次いでいく。
不退転の覚悟が必要な時もある。
★ 知恵泉その三:点から面へ人の流れを生み出せ
単純に温泉を作ったからといって、人は呼び込めない。如矢はアクセス整備と温泉の周りの環境の整備にも意を注いでいく。関西から松山への航路が開かれたので、松山から道後温泉までの鉄道を走らせることを考える。また、周りの藪の竹林を道後公園として整備した。
買い物に行くでもなんでも、最近は駐車場があり、利用しやすいかがアクセスのポイントとなる。また病院に行くことで、他の用事も済ませることができたら、それに越したことはない。南風病院を中心に、この上町地区を病院タウンとして整備できないものかと夢見てしまう。
先日は明治の中期に、松山の道後温泉を町おこしの中心に位置づけ、現在の活況につなげた物語だった。お客さんの一人は、星野リゾート代表取締役社長・星野佳路さんである。
この道後温泉、観光による町づくりの「日本初の成功モデル」と言われている。かつては農村の中の寂しい湯治場に過ぎなかったその地を一大観光スポットへと変身させたのが、明治23年に地元の町長となった伊佐庭如矢(いさにわ・ゆきや)だった。観光で町おこしをするという発想がまったくなかった時代に、「道後湯之町は、人を呼んで潤うべし」という方針を掲げ、住民たった1500人の町でなんと現在の金額にして27億円をかけて道後温泉本館を改築。激しい反対運動にも向き合って住民をあの手この手で説得し「100年以上に渡って人が集まる町」を作り上げた。時代の壁を乗り越える(インターネットから改変)。
★ 知恵泉その一:狙い目のコンセプトは足元にある。
星野さんによると「明確なコンセプト」を作ることが重要で、道後温泉の場合には神話から「神の湯」として位置づけた。コンセプトは何でもいいが、みんなに共感を持ってもらうものがよさそうである。
当院にあてはめれば、「人にやさしくあたたかくの理念のもと、科学の進歩に沿った高度急性期医療を提供できる病院」ということになるだろうか。また星野さんによると、ホテルなどの場合、お客さんは徐々に増えていくことが好ましく、一時的なブームになると落ち込みも激しくなる。またホテルなど客足が遠のいて厳しい状況の時には、離れて行った客は追わず、少なくなっても来てくれる客を大切にして、どうしてその客は来てくれるのかを考えて、その長所を伸ばしていくことが大切である。
病院を受診してくれる患者さんについても、同じことが言えるだろう。
★ 知恵泉その二:覚悟を示せば人は巻き込める。
当初、時代を先取りしすぎた発想に住民は理解できずに、町長(如矢)の計画に真っ向から反対した。そこで全ての情報を公開し、城大工の坂本又八郎を起用、姿を現した木造三層楼は当時でも大変珍しがられた。
如矢自ら不退転の覚悟で、誠心誠意を持って町民を説得してこの偉大な業を完成させた。『この道後温泉が100年たっても真似の出来ない物を造ってこそ意味がある。人が集まれば町が潤い、百姓や職人の暮らしも良くなる』と。当初反対していた住民が、建築費用にと寄付の申し出が相次いでいく。
不退転の覚悟が必要な時もある。
★ 知恵泉その三:点から面へ人の流れを生み出せ
単純に温泉を作ったからといって、人は呼び込めない。如矢はアクセス整備と温泉の周りの環境の整備にも意を注いでいく。関西から松山への航路が開かれたので、松山から道後温泉までの鉄道を走らせることを考える。また、周りの藪の竹林を道後公園として整備した。
買い物に行くでもなんでも、最近は駐車場があり、利用しやすいかがアクセスのポイントとなる。また病院に行くことで、他の用事も済ませることができたら、それに越したことはない。南風病院を中心に、この上町地区を病院タウンとして整備できないものかと夢見てしまう。