Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

希望(2015/01/13) 

2015年1月5日の年始式での挨拶の内容を考えながら、最後に「希望の持てる病院にしたい」という言葉を書き足した。人間は希望なしには生きられない。どのような過酷な状況にあっても希望を捨ててはいけない。患者さんにとって希望の持てる病院であると同時に、そこで働く若い人たちが希望の持てる病院づくりも大切で、それは大人の、そして管理者の責務の一つであると考える。ただある時期には我慢の必要なこともあり、そこを乗り超えてはじめて未来が拓ける。
 ところがここ十数年、日本には「希望の持てない社会」という認識が定着してしまっている。翻って考えてみれば、私の春時代だった戦後の高度経済成長期は、貧しくて豊かな社会とは言えなかったが、いつも「希望」だけはあったように思われる。「今日を頑張れば、明日は今日よりもいいかもしれない」というような、漠然とした掴みどころのない「希望」が社会の中にあった。希望とは「具体的な何かを、行動によって実現しようとする願望」だと言われるが、「頑張って仕事して、金を貯めて車を買いたい、家を建てたいというような願望」があった。
 2011年の春、私はいつものように国道10号線を南九州病院へと車を走らせていた。ちょうどあの3.11の直後で、日本中が不安と絶望感の真っただ中にあった時期である。その時、カーステレオから岸洋子の「希望」という歌が聞こえてきたのを、実に鮮明に覚えている。
 「希望という名のあなたをたずねて 遠い国へとまた汽車にのる」という歌詞で始まるこの歌は、1979年の日本レコード大賞歌唱賞に輝いた。私はこの年は、鹿児島市立病院に勤務していた頃で、世間ではインベイダーゲームが流行っていた。歌詞そのものは決して明るいものではないが、岸洋子のしっとりとした情感のある歌い方と、最後の「あたしの旅は いままた始まる」というフレーズに励まされたような気持ちになれた。
 この歌が大ヒットしたその年に、彼女は膠原病と診断される。その後、闘病生活と歌手活動の両立を余儀なくされ、断続的に療養生活を続けながらも歌い続ける。まさにこの歌が、彼女にとっての「希望」そのものだったわけである。
 希望という名の あなたをたずねて
 遠い国へと また汽車にのる
 あなたは昔の あたしの思い出
 ふるさとの夢 はじめての恋
 けれどあたしが 大人になった日に
 黙ってどこかへ 立ち去ったあなた
 いつかあなたに また逢うまでは
 あたしの旅は 終りのない旅

 希望という名の あなたをたずねて
 今日もあてなく また汽車にのる
 あれからあたしは ただ一人きり
 明日はどんな 町につくやら
 希望という名の あなたをたずねて
 今日もあてなく また汽車にのる
 あれからあたしは ただ一人きり
 明日はどんな 町につくやら

 希望という名の あなたをたずねて
 寒い夜更けに また汽車にのる
 悲しみだけが あたしの道連れ
 となりの席に あなたがいれば
 涙ぐむとき そのとき聞こえる
 希望という名の あなたのあの唄
 そうよあなたに また逢うために
 あたしの旅は いままた始まる
 なおこの歌は作詞が藤田敏雄、作曲がいずみたくによるものであるが、昔の歌はメッセージ性のある優れたものが多かったことに、改めて気づかされる。