血液センター創立50周年記念式典から(前)(2015/02/24)
日本赤十字社鹿児島県血液センター創立50周年記念式典が、城山観光ホテルで開催された。記念講演は榎木孝明で、「日本の心と可能性」というタイトルで話された。エメラルドホールの舞台には高い椅子が置いてあり、そこに腰かけて足を組みながら話し始めた。さすがに絵になる。
「私はスライドを使わずに、会場の方々の顔や気運を感じながら話す方が好きです。前もって原稿を作ると、どうしても一方通行になりますので」と言いながら。
榎木さんは現在59歳、鹿児島県伊佐市(旧菱刈町)の出身で多摩美大デッサン科を卒業後、俳優として活躍されている。その他に水彩画は専門家顔負けで個展を開いたり、また古武道にも造詣が深い。昨年、菱刈を訪ねたことがあったが、普通の商店に榎木さんの絵を陳列している店があった。
「私は鹿児島を出てから40年が経ちます。人生も半分を過ぎたら、人のため、社会のために仕事をしてみようと思うようになりました。6年ほど前に、中村半次郎の生涯を描いた映画の製作もその一つでした。自分から本当にやりたいと思った映画でした。ただ制作が始まったときに、あのリーマンショックに襲われ、金銭面では苦労しました。それまで資金援助を約束してくれていた企業がなくなり、家内以外はみんな反対しました。家内は東京の下町の出身ですが、薩摩の女のように胆が据わり、『続けたら』と言ってくれました。この時に思ったのは、歴史は勝者の歴史であること、また困ったときに手を差し伸べてくれる人こそ本当の友達だと思いました」。
「今、私がもっとも力を入れているのは『時代劇再生プロジェクト』です。日本では3年前に水戸黄門が終わってから、民放では時代劇の定時の放映はないのですね。時代劇がなくなると、日本の貴重なさまざまな伝統技術の継承ができなくなってしまいます。時代劇は子どもたちに、日本人の誇りを持ってもらう、よすがともなり、また生と死といったような『死生観』の醸成にも役立ちます」。
「今。京都市郊外のある田舎に、大きな映画村を作ることを夢見ています。村そのものが時代劇のスタジオになります。そして映画学校の創設などもできないものかと思っておりますこれから少しずつ形にしていくつもりなので、どうか期待して見守ってください」。そして、その週の金曜日にNHKのファミリーヒストリーで榎木家が取り上げられますので、観てくださいと付け加えた。
私はビデオでこの番組を観たが、「なんとなく私の家に似ているなあ」と思った。父親の育った時代がほぼ同じで、鹿児島県の片田舎での暮らしが背景になっている。榎木の父孝志は鹿児島の師範学校に入学し、家計を助けるために途中で代用教員となり教師生活を始める。召集され台湾に従軍し復員してから教職に復帰、定年後の62歳の時に肺がんで急逝している。
「私はスライドを使わずに、会場の方々の顔や気運を感じながら話す方が好きです。前もって原稿を作ると、どうしても一方通行になりますので」と言いながら。
榎木さんは現在59歳、鹿児島県伊佐市(旧菱刈町)の出身で多摩美大デッサン科を卒業後、俳優として活躍されている。その他に水彩画は専門家顔負けで個展を開いたり、また古武道にも造詣が深い。昨年、菱刈を訪ねたことがあったが、普通の商店に榎木さんの絵を陳列している店があった。
「私は鹿児島を出てから40年が経ちます。人生も半分を過ぎたら、人のため、社会のために仕事をしてみようと思うようになりました。6年ほど前に、中村半次郎の生涯を描いた映画の製作もその一つでした。自分から本当にやりたいと思った映画でした。ただ制作が始まったときに、あのリーマンショックに襲われ、金銭面では苦労しました。それまで資金援助を約束してくれていた企業がなくなり、家内以外はみんな反対しました。家内は東京の下町の出身ですが、薩摩の女のように胆が据わり、『続けたら』と言ってくれました。この時に思ったのは、歴史は勝者の歴史であること、また困ったときに手を差し伸べてくれる人こそ本当の友達だと思いました」。
「今、私がもっとも力を入れているのは『時代劇再生プロジェクト』です。日本では3年前に水戸黄門が終わってから、民放では時代劇の定時の放映はないのですね。時代劇がなくなると、日本の貴重なさまざまな伝統技術の継承ができなくなってしまいます。時代劇は子どもたちに、日本人の誇りを持ってもらう、よすがともなり、また生と死といったような『死生観』の醸成にも役立ちます」。
「今。京都市郊外のある田舎に、大きな映画村を作ることを夢見ています。村そのものが時代劇のスタジオになります。そして映画学校の創設などもできないものかと思っておりますこれから少しずつ形にしていくつもりなので、どうか期待して見守ってください」。そして、その週の金曜日にNHKのファミリーヒストリーで榎木家が取り上げられますので、観てくださいと付け加えた。
私はビデオでこの番組を観たが、「なんとなく私の家に似ているなあ」と思った。父親の育った時代がほぼ同じで、鹿児島県の片田舎での暮らしが背景になっている。榎木の父孝志は鹿児島の師範学校に入学し、家計を助けるために途中で代用教員となり教師生活を始める。召集され台湾に従軍し復員してから教職に復帰、定年後の62歳の時に肺がんで急逝している。
