さくら(2015/03/27)
今日、3月27日は、「3(さ)×9(く)=27」で、「桜の日」と呼ぶそうである。
今年も桜の開花予報(桜前線)がかまびすしく騒がれた。鹿児島は24日の開花予報だったが、少し早く21日に開花宣言がなされた。「世界広し」といえども開花予報が国民的行事のように騒がれる国は日本以外にはどこにもあるまい。平和であるという証かも知れない。
でもやはり桜は不思議な花である。
冬の寒さを耐えて、春の到来とともに一斉に花を咲かせ、そして一週間ほどで見事に散っていく。「生命の息吹」と「儚さ」を併せ持っているため、日本人に愛されてきたのだろう。日本人は桜に自らの人生を重ねたり、さまざまな思い出とともに桜を愛でるのである。私が小学校の頃は今より開花時期が遅かったのか、入学式では桜の下で父兄と写真を撮るのが定番だった。
義父が10年近く前に亡くなったとき、その記念に南九州病院の緩和ケア棟の前庭と病院
玄関の一画に桜の木を植えさせてもらった。義母は毎年春になるとそこを訪れ、一年ずつ大きくなる気の前で写真を撮っていた。一昨年、桜の前で「これが最期かもね」とぽつりと言ったが、その通りになってしまった。昨年は病気のために行けずに、それでも私が写真に収めた桜の花を喜んでくれた。今年は3月24日に訪れたが、ちょうどピンクの八重桜が満開を迎えていた。
私も南九州病院を去るにあたり、何か記念になるものはないかと考えて、筋ジス病棟の前庭に小さな桜の苗木を寄贈した。先日出かけた時にはまだ蕾の状態だったが、もし日高君が生きていたらベッドからもっともよく見える位置にあるので喜んでくれただろうに。「新しく庭に加はる桜木は 退官迎へし医師のあしあと」と詠ってくれている。
また日高君の歌集の中に、桜に題材のものがいくつかある。
早春の写真数枚届きたり 山桜愛(かな)し故郷の道
昨年私たちは「日高君追悼の旅」を企画し、故郷である尾波瀬集落を訪ねた。国道68号線のがけ下に、山と海にへばりつくような小さな漁村で、ナビでは道路が消えてしまっていた。お母さんの話では、小学校の2年生の時まで30分ほど離れた大泊小学校まで自転車の後ろに括られて通ったという。きっとその道すがら、山桜を眺めていた景色を思い出しながら詠ったのだろう。
日高君も、宮田君も、岡村君も、有馬君も、今年の桜を観ることはできなかった。
今年も桜の開花予報(桜前線)がかまびすしく騒がれた。鹿児島は24日の開花予報だったが、少し早く21日に開花宣言がなされた。「世界広し」といえども開花予報が国民的行事のように騒がれる国は日本以外にはどこにもあるまい。平和であるという証かも知れない。
でもやはり桜は不思議な花である。
冬の寒さを耐えて、春の到来とともに一斉に花を咲かせ、そして一週間ほどで見事に散っていく。「生命の息吹」と「儚さ」を併せ持っているため、日本人に愛されてきたのだろう。日本人は桜に自らの人生を重ねたり、さまざまな思い出とともに桜を愛でるのである。私が小学校の頃は今より開花時期が遅かったのか、入学式では桜の下で父兄と写真を撮るのが定番だった。
義父が10年近く前に亡くなったとき、その記念に南九州病院の緩和ケア棟の前庭と病院
玄関の一画に桜の木を植えさせてもらった。義母は毎年春になるとそこを訪れ、一年ずつ大きくなる気の前で写真を撮っていた。一昨年、桜の前で「これが最期かもね」とぽつりと言ったが、その通りになってしまった。昨年は病気のために行けずに、それでも私が写真に収めた桜の花を喜んでくれた。今年は3月24日に訪れたが、ちょうどピンクの八重桜が満開を迎えていた。
私も南九州病院を去るにあたり、何か記念になるものはないかと考えて、筋ジス病棟の前庭に小さな桜の苗木を寄贈した。先日出かけた時にはまだ蕾の状態だったが、もし日高君が生きていたらベッドからもっともよく見える位置にあるので喜んでくれただろうに。「新しく庭に加はる桜木は 退官迎へし医師のあしあと」と詠ってくれている。
また日高君の歌集の中に、桜に題材のものがいくつかある。
早春の写真数枚届きたり 山桜愛(かな)し故郷の道
昨年私たちは「日高君追悼の旅」を企画し、故郷である尾波瀬集落を訪ねた。国道68号線のがけ下に、山と海にへばりつくような小さな漁村で、ナビでは道路が消えてしまっていた。お母さんの話では、小学校の2年生の時まで30分ほど離れた大泊小学校まで自転車の後ろに括られて通ったという。きっとその道すがら、山桜を眺めていた景色を思い出しながら詠ったのだろう。
日高君も、宮田君も、岡村君も、有馬君も、今年の桜を観ることはできなかった。
