明日のことを思い煩うな(2015/03/03)
PHPでは「くよくよしない人・心穏やかな人」を特集にしている。
このなかで、「仏教に学ぶ 後悔や不安を増幅させないために」という釈鉄宗さんの教えが胸に残っている。釈さんについては、以前この項で紹介したことがあったが、覚えておられるだろうか。
・・・日経新聞を読んでいたら「学びのふるさと」というコーナーで、宗教学者の釈徹宗さんという人へのインタビュー記事が掲載されていた。「人は一人で死ななければならない」という大見出しが気になって読み始めた。するとこの釈さんは、浄土真宗本願寺派の寺に生まれ、進学した龍谷大学4回生の時に、信楽峻麿(しがらき・たかまろ)先生のゼミに入り、人生が大きく変わったのだということである。
釈先生の結婚式に、信楽先生を主賓としてお呼びしたときの挨拶を紹介している。「しょせん、人は一人で死ななければならない」と話はじめる。そして「人は一人で死ぬからこそ、生きている間は夫婦二人で手を取り合い、助け合わなければならない」と、結婚への覚悟を説いたという。ただめでたい席だっただけに場の空気は凍りつき、特に表情をなくしたのは奥さんの親族だったという。
釈先生は、「この言葉が今も生き方からについて考えるときに礎」になっているという。「大きな災害で日常がもろく崩れ去る事態が続いています。だからといって絶望するしかないのでしょうか。いいえ。はかない日常だからこそ、人と人が手を携えて生きることが大切なのです」と説いておられる。
釈さんは禅の公案(修行者が取り組む問答)に「趙州洗鉢(じょうしょうせんぱつ)という言葉を紹介する。」ある時、一人の僧が趙州(唐代の名僧)に問うた。
「私は僧堂に入ったばかりの新参者です。師よ、どうかお導き下さい」
するとなぜか趙州は「きみ、朝ご飯は食べたの?」と問うのです。
「はい、食べました。」と僧は答えた。
すると趙州は「では持鉢(じはつ)を洗っておきなさい。」と言った。
僧は心眼を開いた。仏法とは何かを悟る。あるがままの日常的動作の中に、即今の呼吸があるのだ。“悟り”とは、特別な所にあるのではない、一切がそのまま、真実の結晶世界なのだということである。
後悔に身を焦し、苦悩の最中にある私に、仏教は「今、なすべきことをなせ、それ以外のものは捨象(しゅしょう)せよ」と説く。すなわち「シンプルな行為を実践する」ことで、心の不具合の増幅を方向転換させるのである。
聖書ではイエスが「明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで、十分である」と説くが、「無心に生きてゆくがよい」ということである。
このなかで、「仏教に学ぶ 後悔や不安を増幅させないために」という釈鉄宗さんの教えが胸に残っている。釈さんについては、以前この項で紹介したことがあったが、覚えておられるだろうか。
・・・日経新聞を読んでいたら「学びのふるさと」というコーナーで、宗教学者の釈徹宗さんという人へのインタビュー記事が掲載されていた。「人は一人で死ななければならない」という大見出しが気になって読み始めた。するとこの釈さんは、浄土真宗本願寺派の寺に生まれ、進学した龍谷大学4回生の時に、信楽峻麿(しがらき・たかまろ)先生のゼミに入り、人生が大きく変わったのだということである。
釈先生の結婚式に、信楽先生を主賓としてお呼びしたときの挨拶を紹介している。「しょせん、人は一人で死ななければならない」と話はじめる。そして「人は一人で死ぬからこそ、生きている間は夫婦二人で手を取り合い、助け合わなければならない」と、結婚への覚悟を説いたという。ただめでたい席だっただけに場の空気は凍りつき、特に表情をなくしたのは奥さんの親族だったという。
釈先生は、「この言葉が今も生き方からについて考えるときに礎」になっているという。「大きな災害で日常がもろく崩れ去る事態が続いています。だからといって絶望するしかないのでしょうか。いいえ。はかない日常だからこそ、人と人が手を携えて生きることが大切なのです」と説いておられる。
釈さんは禅の公案(修行者が取り組む問答)に「趙州洗鉢(じょうしょうせんぱつ)という言葉を紹介する。」ある時、一人の僧が趙州(唐代の名僧)に問うた。
「私は僧堂に入ったばかりの新参者です。師よ、どうかお導き下さい」
するとなぜか趙州は「きみ、朝ご飯は食べたの?」と問うのです。
「はい、食べました。」と僧は答えた。
すると趙州は「では持鉢(じはつ)を洗っておきなさい。」と言った。
僧は心眼を開いた。仏法とは何かを悟る。あるがままの日常的動作の中に、即今の呼吸があるのだ。“悟り”とは、特別な所にあるのではない、一切がそのまま、真実の結晶世界なのだということである。
後悔に身を焦し、苦悩の最中にある私に、仏教は「今、なすべきことをなせ、それ以外のものは捨象(しゅしょう)せよ」と説く。すなわち「シンプルな行為を実践する」ことで、心の不具合の増幅を方向転換させるのである。
聖書ではイエスが「明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで、十分である」と説くが、「無心に生きてゆくがよい」ということである。
