Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

「まあまあ型」と「とことん型」(2015/04/24) 

「難病相談・支援センター」に83歳の女性と横浜から帰省したという50歳代の娘さんが、91歳の夫(娘さんにとっては父)のことで相談に来られた。この男性は国立大学で事務職として働かれていたが、定年後は穏やかな生活を過ごしておられたという。ところが数年前から歩行時にふらつくようになり、認知機能も少しずつ衰えてきた。医師からは「進行性核上性麻痺」と診断され、現在は療養型の病院に入院中である。ただ病院からは、「もうしばらくすると退院するように」と言われている。一人で介護されている妻も高齢に加えて持病もあり、家で介護したい気持ちは強いが現実は難しそうに思える。
高齢社会を迎えて、このような事例はどこにでも転がっている。今後のことを考えると、「食事が口から摂れなくなった時に、胃瘻を造りますか」という選択が、具体的な琴瑟の問題として浮かび上がってくる。
 4月20日の日経新聞に、「医出づる国」の連載コーナーで「限界と向き合う」というタイトルでこの問題を取り上げられていた。
兵庫県で在宅死800人を数えるという長尾和宏医師は、胃瘻に関して「不要な延命措置の代表ととらえがちだが、治さないといけないものと、そうでないものをはっきり説明したうえで対応する必要がある」と言われている。
 近年医療現場では、「まあまあ型」と「とことん型」という言葉が聞かれるということだが、最近のご時世をよくとらえた言葉だと思う。
さきほどの91歳の男性のケースも、それほど長くないうちに「嚥下障害」が生じてくるだろう。その時に胃瘻を造るかどうか、あるいはそのまま様子をみるかということになる。またヘルパーなどの社会資源を利用しながら「在宅療養」という選択肢もあるが、先日頂いた葉書では、「自宅に一泊体験を行いましたが、無理だとわかりました」と書かれている。そうなると老健施設や特養となるが、どこも空床はなくすぐには入所できない状況にある。サービス介護付き高齢者住宅や有料の老人ホームなども選択肢にのぼるが、それなりの自己負担を必要とする。
 この記事によると、75歳を過ぎると完治せずとも地域で生活できるようにする「まあまあ型」を必要とする比率が急速に高まるが、現在の日本には「とことこ型」を提供する病院が多い、と論じる。高齢で病状が悪化したり、経口的に食べることができなくなった時には、それが人生の終末だと本人も家族も納得してくれればいいが、救急車で当院のような救急病院に搬送される患者が多いのも現実である。搬送されてしまうと、年齢に関係なく積極治療を行わざるを得なくなる。
 何度も書いてきたが、西欧諸国では保険を使って透析できるのは65歳以下の人に限っているという。金の切れ目が命の切れ目だという厳然たる事実がそこにはある。日本人にはなじめない感覚だが、増え続ける膨大な財政赤字をどのようにしていくのか、避けては通れないことである。