優れた病院とは(2015/04/23)
『USニュース&ワールド・レポート』誌の「いい病院ランキング」で、毎年全米1、2位に入るこの病院は、世界中から難病を抱えた患者が訪れることでも知られている。建物、医療の質、接遇、そしてオバマ大統領は「高い質の医療を提供しながら、医療費を低く抑えている成功例」と讃えた。 この病院とは「メイヨークリニック」である。
その歴史はイギリス出身の外科医であるDr. WW Mayoが1863年、南北戦争で傷ついた兵士たちを治療する施設をアメリカミネソタ州のロチェスター市につくったことから始まる。1880年代には彼の息子たちが外科医として加わり、また1892年にはアメリカで最初のGroup practiceとして他科の医師たちを加え、総合医療を扱う施設となった。その成り立ちから、多くの科の医師、医療技術者の総合した意見を患者の管理に活用することを最大の目標にしていた メイヨークリニックはミネソタ州で最大の都市ミネアポリスからハイウェイを、約1時間半ほど走った平原の中に位置している。「大草原の小さな家」の舞台にもなった場所で、人口9万人の地方都市であるロチェスターにあるが、年間34万人もの患者が全米から訪れる。医師や職員は3万2千人で、ロチェスター市の人口の約三分の一にあたる。
気候は良くなく、中西部のカナダ寄りにあるので厳しい内陸性気候で、冬は摂氏マイナス20度という極寒の状況が3か月ほど続く。そして夏は暑く、よくトルネード(竜巻)の襲来に悩まされる。
メイヨークリニックの特徴は、そのチーム医療にあるといわれている。一人の患者の治療方針を決定するために、他科の医師もチームに加わって総合的に病状を診断し、最適な治療法を探っていく。メイヨークリニックでは、どの医師も6割の時間を他科のために費やしており、チーム医療が効率的に推進されるよう、そのための時間割の方法論も確立している。
私はもう随分昔のことになるが、1980年から3年間、この病院で働き、研究生活を送った。日本からの留学者も多く、私のいた神経学のフロアには7人ほどの留学生がいたので
談話室では日本語も飛び交っていた。3年間、大きなトラブルもなく楽しい留学生活を送ることができた。帰国時には、優れた研究業績をあげたフェローとして表彰状と賞金をもらうこともできた。
メイヨークリニックの場合、「診察を受けたい病院」としての条件が揃っている。建物はもちろん立派である(世界各地からの見学者のための病院ツアーも朝夕二回行われていた)、が、医療レベルが高く、そして看護師の接遇がよいというのが評判になっていた。特に純朴でやさしい看護は、ニューヨークやロサンゼルスといった大都市からやってきた患者には新鮮に映ったようである。
鹿児島市にも外観的には素晴らしい設備の病院が続々誕生している。わが南風病院も10月には東館の竣工も予定されているが、いい病院の基本はメイヨーククリニックの例をみるまでもなく建物の豪華さではなく、医療のレベルと接遇の良さにある。今後もこの二点では、わが南風病院は他のどこの病院にもひけをとらないように日々の研鑽を続けていきたい。
(ちょうど10年ほど前に、院内雑感にメイヨークリニックについて書いたものがあったので添付したい。お時間のあるときにでも)。
メイヨークリニックの変遷(平成17年7月)
「メイヨークリニックでの32年間を振り返って」というタイトルで、この4月から埼玉県立精神医療センターの院長として帰国された丸田俊彦先生の講演を聴く機会があった。丸田先生はメイヨー医科大学でも精神科の教授としても活躍されており、私も20数年前にメイヨーに留学した時にいろいろお世話になった方である。
丸田先生のお話では、32年前に渡米した頃はメイヨークリニックの医療は、まさに黄金時代であった。確かに今でも「重い病気になったらかかりたい病院」として全米でもダントツの一位であり、他の病院に比べれば経営も比較的安定している。しかしアメリカの西海岸や東海岸で始まった医療改革の負の影響を、中西部の静かな町、ロチェスターにあるメーヨークリニックも多かれ少なかれ受けており、その波に巻き込まれつつあるという。
その一つは、高度で質の高い(家族経営の)「専門店」方式から、ある程度品質が保証された(大企業経営の)「スーパーマーケット」方式への移行が、「専門分野の細分化」という名のもとになされてきているという(講演集から)。そのため昔は、患者さん全体を見通せる卓越した臨床家がたくさんおり、その先生の臨床ノート(カルテのようなものか)をみると、患者さんの病態をたちどころに把握できていた。ところが最近では、神経内科のカルテをみても、専門分化が進んだ結果、頭痛があるとすればそれに関係した所見だけしか書かれておらず、病人を全体として把握できなくなっているという。
また以前は医師同士でも家族的な雰囲気があったが、最近ではそのようなことも少なくなり、マスコミなどへの露出度を増やして、外部から多額のファンドを獲得できる研究者が幅を利かせるようになっているそうだ。
それでも、さすがにメーヨークリニックだと思われる部分は残っている。丸田先生は自分の研究テーマの一つとして、精神的な気持ちの在り様が将来心筋梗塞などの発病に関係するのかどうかに興味をもち、そのような症例のピックアップと経時的な調査を行ったことがあった。カルテを管理している部署に頼むと5000例近くをピックアップしてくれて、その中から1000例を抽出し、そのうちの約90%の症例で、実に50年間にわたる経過をフォローできたという。50年前のカルテがきちんと保存できていることも驚異であるが、住居を含め目まぐるしく変わる時代にあって50年間も追跡調査ができたということは信じられない話である。
経営面でも、学問的にもまた患者さんの信頼度という点でも、理想的な病院といわれてきたメーヨークリニックも時代の波は避けられないということだろうか。最近、「コード・グリーン」という本(日本看護協会出版会)を読む機会があった。副題に「利益重視の病院と看護の崩壊劇」とあるように、プライマリーナーシングでも有名なベス・イスラエル病院だが、合併とリストラの結果、看護の質を低下させ財務的にも危機に瀕しているという研究報告である。 日本でも財政論議の中、医療の分野でも効率的な運営による病院経営の健全化策が求められている。確かにそれは当然の成り行きの部分もあるが、この本の訳者がまえがきでも述べられているように、「私が出会う全てのアメリカ人が、アメリカのヘルスケア政策と利益重視に傾きすぎた病院経営を日本は決して真似てはいけない」というのも偽らざる真実であろう。コストと質という、ともすれば相反する振り子を、いかにしてうまくバランスさせられるか、いつも難しい課題を突きつけられている。
その歴史はイギリス出身の外科医であるDr. WW Mayoが1863年、南北戦争で傷ついた兵士たちを治療する施設をアメリカミネソタ州のロチェスター市につくったことから始まる。1880年代には彼の息子たちが外科医として加わり、また1892年にはアメリカで最初のGroup practiceとして他科の医師たちを加え、総合医療を扱う施設となった。その成り立ちから、多くの科の医師、医療技術者の総合した意見を患者の管理に活用することを最大の目標にしていた メイヨークリニックはミネソタ州で最大の都市ミネアポリスからハイウェイを、約1時間半ほど走った平原の中に位置している。「大草原の小さな家」の舞台にもなった場所で、人口9万人の地方都市であるロチェスターにあるが、年間34万人もの患者が全米から訪れる。医師や職員は3万2千人で、ロチェスター市の人口の約三分の一にあたる。
気候は良くなく、中西部のカナダ寄りにあるので厳しい内陸性気候で、冬は摂氏マイナス20度という極寒の状況が3か月ほど続く。そして夏は暑く、よくトルネード(竜巻)の襲来に悩まされる。
メイヨークリニックの特徴は、そのチーム医療にあるといわれている。一人の患者の治療方針を決定するために、他科の医師もチームに加わって総合的に病状を診断し、最適な治療法を探っていく。メイヨークリニックでは、どの医師も6割の時間を他科のために費やしており、チーム医療が効率的に推進されるよう、そのための時間割の方法論も確立している。
私はもう随分昔のことになるが、1980年から3年間、この病院で働き、研究生活を送った。日本からの留学者も多く、私のいた神経学のフロアには7人ほどの留学生がいたので
談話室では日本語も飛び交っていた。3年間、大きなトラブルもなく楽しい留学生活を送ることができた。帰国時には、優れた研究業績をあげたフェローとして表彰状と賞金をもらうこともできた。
メイヨークリニックの場合、「診察を受けたい病院」としての条件が揃っている。建物はもちろん立派である(世界各地からの見学者のための病院ツアーも朝夕二回行われていた)、が、医療レベルが高く、そして看護師の接遇がよいというのが評判になっていた。特に純朴でやさしい看護は、ニューヨークやロサンゼルスといった大都市からやってきた患者には新鮮に映ったようである。
鹿児島市にも外観的には素晴らしい設備の病院が続々誕生している。わが南風病院も10月には東館の竣工も予定されているが、いい病院の基本はメイヨーククリニックの例をみるまでもなく建物の豪華さではなく、医療のレベルと接遇の良さにある。今後もこの二点では、わが南風病院は他のどこの病院にもひけをとらないように日々の研鑽を続けていきたい。
(ちょうど10年ほど前に、院内雑感にメイヨークリニックについて書いたものがあったので添付したい。お時間のあるときにでも)。
メイヨークリニックの変遷(平成17年7月)
「メイヨークリニックでの32年間を振り返って」というタイトルで、この4月から埼玉県立精神医療センターの院長として帰国された丸田俊彦先生の講演を聴く機会があった。丸田先生はメイヨー医科大学でも精神科の教授としても活躍されており、私も20数年前にメイヨーに留学した時にいろいろお世話になった方である。
丸田先生のお話では、32年前に渡米した頃はメイヨークリニックの医療は、まさに黄金時代であった。確かに今でも「重い病気になったらかかりたい病院」として全米でもダントツの一位であり、他の病院に比べれば経営も比較的安定している。しかしアメリカの西海岸や東海岸で始まった医療改革の負の影響を、中西部の静かな町、ロチェスターにあるメーヨークリニックも多かれ少なかれ受けており、その波に巻き込まれつつあるという。
その一つは、高度で質の高い(家族経営の)「専門店」方式から、ある程度品質が保証された(大企業経営の)「スーパーマーケット」方式への移行が、「専門分野の細分化」という名のもとになされてきているという(講演集から)。そのため昔は、患者さん全体を見通せる卓越した臨床家がたくさんおり、その先生の臨床ノート(カルテのようなものか)をみると、患者さんの病態をたちどころに把握できていた。ところが最近では、神経内科のカルテをみても、専門分化が進んだ結果、頭痛があるとすればそれに関係した所見だけしか書かれておらず、病人を全体として把握できなくなっているという。
また以前は医師同士でも家族的な雰囲気があったが、最近ではそのようなことも少なくなり、マスコミなどへの露出度を増やして、外部から多額のファンドを獲得できる研究者が幅を利かせるようになっているそうだ。
それでも、さすがにメーヨークリニックだと思われる部分は残っている。丸田先生は自分の研究テーマの一つとして、精神的な気持ちの在り様が将来心筋梗塞などの発病に関係するのかどうかに興味をもち、そのような症例のピックアップと経時的な調査を行ったことがあった。カルテを管理している部署に頼むと5000例近くをピックアップしてくれて、その中から1000例を抽出し、そのうちの約90%の症例で、実に50年間にわたる経過をフォローできたという。50年前のカルテがきちんと保存できていることも驚異であるが、住居を含め目まぐるしく変わる時代にあって50年間も追跡調査ができたということは信じられない話である。
経営面でも、学問的にもまた患者さんの信頼度という点でも、理想的な病院といわれてきたメーヨークリニックも時代の波は避けられないということだろうか。最近、「コード・グリーン」という本(日本看護協会出版会)を読む機会があった。副題に「利益重視の病院と看護の崩壊劇」とあるように、プライマリーナーシングでも有名なベス・イスラエル病院だが、合併とリストラの結果、看護の質を低下させ財務的にも危機に瀕しているという研究報告である。 日本でも財政論議の中、医療の分野でも効率的な運営による病院経営の健全化策が求められている。確かにそれは当然の成り行きの部分もあるが、この本の訳者がまえがきでも述べられているように、「私が出会う全てのアメリカ人が、アメリカのヘルスケア政策と利益重視に傾きすぎた病院経営を日本は決して真似てはいけない」というのも偽らざる真実であろう。コストと質という、ともすれば相反する振り子を、いかにしてうまくバランスさせられるか、いつも難しい課題を突きつけられている。
