私の父をよく知っている人(2015/04/20)
「私の父をよく知っている」という人の紹介で来られた、中学3年の女生徒とその母親の難病相談を受けた。
その84歳だという人は難病相談・支援センターに、私の出勤日でない日に訪ねて来られたそうで、職員の話では「まだ60歳代に見えました」という。私の父は明治45年の生まれだったので、生きていたら103歳ということになり、ずいぶん昔のお付き合いだったことだけは想像できた。
難病相談を終えて、「よく知っている人」の名刺(増元さん)に書き込まれていた鹿屋市にある児童養護施設大隅学舎に電話をしてみた。電話から聞こえてくる声も若々しく、「先生のお兄さん(鹿屋の近くの国立志布志病院で院長をしていたことがある)にも、昔お世話になりました。お父さんとは『かけごし』にあった温泉の朝風呂でよく一緒になりましてねえ。整肢園を定年で辞められると聞いたので、私がやまびこ整肢園に引っ張ったのですよ」と言われる。「元気な人でねえ。若い人の多い職場でしたが、みんなの意見をよく聞きながらうまくまとめてくれていました」。「かけごし」とは原良本通りにあり、当時私の家は「かけごし」からちょっと下ったところにあった。
父が定年退職したのは昭和48年なので、42年前の話になる。そのやまびこ整肢園に一年ちょっと務めていた時にくも膜下出血で急逝した。元気な父で病気一つしたことはなかったが、まったく突然のことだった。脳動脈の破裂場所は、今の脳外科の技術だったら難なく手術できる場所であり、ずっと忸怩たるものが残った。
ところで、どうして「やまびこ整肢園」に勤めることになったのか、やっとそのいきさつがわかった。定年後も同じような環境で仕事ができたわけで、ラッキーだったということになる。
ところで増元さんが現在理事長をされている大隅学舎は「児童福祉法に基づき保護者のいない児童、又は、家庭環境等の事情により養育する事ができない2歳~18歳の児童を児童相談所を通して入所。心身ともに健全な社会人として育成する事を目的とした施設」である。昭和22年創立の歴史のある養護施設である。
数日後、増元さんがわざわざ南風病院を訪ねてこられたので、私の部屋で小一時間ほど話ができた。世の中狭いもので、娘婿が三内科の後輩ということで、井形先生もよく存じていた。半生を児童福祉の関係の仕事をしてきたが、最近は特養も併設し老人福祉の仕事もされているという。
さて難病相談に来られたのは、「複合性局所疼痛症候群」と診断されている中学三年生の女生徒である。見たところは快活な元気な女子生徒で、終始笑顔で答えてくれる。小学3年のころから特段思い当たるようなエピソードもなく、右手と右足の痛みを自覚するようになった。痛みは断続的であるが強烈で、痛みのある足は少し晴れており、片足だけスリッパを履いている。鎮痛剤の服用や和温療法、リハビリなどさまざまな治療を行ってきたがさしたる効果はないらしい。現在中学3年生で、来年は高校受験であるという。「将来は何になりたいの?」と聞くと「理学療法士」だという。「それなら一生懸命勉強しないと、なかなか難しいよ」など、難病相談ならぬ進路相談となった。
痛みは本人にしかわからない自覚的な症状である。特に若い女の子の場合、心理的な関与も疑われる。この女学生と話をしながら、もう10年近く前に35歳で亡くなったUさんのことを思い出した。この女学生もこの日のように痛みのない時には、全く普通の女の子である。診断基準がはっきりしていないので、指定難病にも取り上げられていない。
その84歳だという人は難病相談・支援センターに、私の出勤日でない日に訪ねて来られたそうで、職員の話では「まだ60歳代に見えました」という。私の父は明治45年の生まれだったので、生きていたら103歳ということになり、ずいぶん昔のお付き合いだったことだけは想像できた。
難病相談を終えて、「よく知っている人」の名刺(増元さん)に書き込まれていた鹿屋市にある児童養護施設大隅学舎に電話をしてみた。電話から聞こえてくる声も若々しく、「先生のお兄さん(鹿屋の近くの国立志布志病院で院長をしていたことがある)にも、昔お世話になりました。お父さんとは『かけごし』にあった温泉の朝風呂でよく一緒になりましてねえ。整肢園を定年で辞められると聞いたので、私がやまびこ整肢園に引っ張ったのですよ」と言われる。「元気な人でねえ。若い人の多い職場でしたが、みんなの意見をよく聞きながらうまくまとめてくれていました」。「かけごし」とは原良本通りにあり、当時私の家は「かけごし」からちょっと下ったところにあった。
父が定年退職したのは昭和48年なので、42年前の話になる。そのやまびこ整肢園に一年ちょっと務めていた時にくも膜下出血で急逝した。元気な父で病気一つしたことはなかったが、まったく突然のことだった。脳動脈の破裂場所は、今の脳外科の技術だったら難なく手術できる場所であり、ずっと忸怩たるものが残った。
ところで、どうして「やまびこ整肢園」に勤めることになったのか、やっとそのいきさつがわかった。定年後も同じような環境で仕事ができたわけで、ラッキーだったということになる。
ところで増元さんが現在理事長をされている大隅学舎は「児童福祉法に基づき保護者のいない児童、又は、家庭環境等の事情により養育する事ができない2歳~18歳の児童を児童相談所を通して入所。心身ともに健全な社会人として育成する事を目的とした施設」である。昭和22年創立の歴史のある養護施設である。
数日後、増元さんがわざわざ南風病院を訪ねてこられたので、私の部屋で小一時間ほど話ができた。世の中狭いもので、娘婿が三内科の後輩ということで、井形先生もよく存じていた。半生を児童福祉の関係の仕事をしてきたが、最近は特養も併設し老人福祉の仕事もされているという。
さて難病相談に来られたのは、「複合性局所疼痛症候群」と診断されている中学三年生の女生徒である。見たところは快活な元気な女子生徒で、終始笑顔で答えてくれる。小学3年のころから特段思い当たるようなエピソードもなく、右手と右足の痛みを自覚するようになった。痛みは断続的であるが強烈で、痛みのある足は少し晴れており、片足だけスリッパを履いている。鎮痛剤の服用や和温療法、リハビリなどさまざまな治療を行ってきたがさしたる効果はないらしい。現在中学3年生で、来年は高校受験であるという。「将来は何になりたいの?」と聞くと「理学療法士」だという。「それなら一生懸命勉強しないと、なかなか難しいよ」など、難病相談ならぬ進路相談となった。
痛みは本人にしかわからない自覚的な症状である。特に若い女の子の場合、心理的な関与も疑われる。この女学生と話をしながら、もう10年近く前に35歳で亡くなったUさんのことを思い出した。この女学生もこの日のように痛みのない時には、全く普通の女の子である。診断基準がはっきりしていないので、指定難病にも取り上げられていない。
