Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

松田屋ホテル(2015/04/17) 

京都での学会の帰りに、孫に会うために山口市の湯田温泉に立ち寄った。その夜、地元の名士で弁護士の末永先生が松田屋ホテルでご馳走してくれた。末永先生は昔、東京地検の特捜部などで11年間検事として活躍されたのち、山口市で弁護士事務所を開業された。その間、山口県弁護士会会長や公安委員会委員長などの要職を歴任されている。事務所の弁護士のお一人が、自民党の副総裁の高村さんである。また「食通」としても有名である。
 松田屋ホテルは由緒ある格式の高い旅館で、湯田温泉を南西から北東に横切る県道204号線沿いの、高い塀に囲まれたこんもりとした林の中に位置している。300年以上の歴史があり、江戸末期、維新の志士たちの宿泊や会談の場となったところで、回遊式池泉庭園の中には西郷・木戸・大久保の会見所など歴史的にも貴重な文化財がある。
 会食の場所は旧館の2階の眼下にこの庭園を見渡せる素晴らしい部屋で、木戸孝允の部屋といわれている。末永先生がこのホテルの顧問弁護士をされているからの御利益かも知れない。
 ホームページで見ると、このホテルの創業は1675年で、1860年(万延元年)に維新の湯を設営している。1863年(文久3年)に高杉晋作が松田屋玄関横の楓の幹に「盡国家之秋在焉」(「国家に盡すのときなり)との文字を刻んでいる。1864年(元治元年)に三条実美が松田屋へ手植えの松と遺墨碑(いほくひ)を贈る。1866年(慶応2年)、薩長同盟が締結、坂本竜馬が京都薩摩藩邸と山口との間を奔走、松田屋にも滞泊する。1867年(慶応3年)、薩摩藩の西郷、大久保らが薩長同盟の具体的協議のため来山し松田屋にて会談する 。1887年(明治20年)、松田屋新客室棟を増築の折、初代内閣総理大臣の伊藤博文が来泊して、これに「群巒閣(ぐんらんかく)」と命名し、同文字の揮毫額を贈呈祝福される、とある。まさに江戸末期の維新の志士たちが活躍の舞台になったホテルである。
 食事の記念にホテル側から、志士たちの揮毫をまとめた「暖簾」を頂いたが、その顔ぶれたるや凄い。
実美(三条実美)、松菊(木戸孝允)、龍馬(坂本龍馬)、西郷吉之助(西郷隆盛)、大久保一蔵(大久保利通)、吉田寅二郎(吉田松陰)、東行(高杉晋作)、誠(久坂玄瑞)、春畝(伊藤博文)、世外(井上馨)などが維新の志士が全て名前を連ねている。
 先ほどの紹介で、「三条実美が松田屋へ手植えの松と遺墨碑(いほくひ)を贈る」とあるが、その歌碑が庭園の一画にある。実美は政変で尊王攘夷派の急先鋒であった長州藩士らが京都を追われ、攘夷派の公家実美ら7人が長州に追われた(7卿落)。実美は朝倉八幡宮に詣でた際に持ち帰った松を手植えし(手植松)和歌を詠んだ。
 『時しあらば よにあひおひの ひめ小松 君にひかるる こともありなむ』
また庭園の一画には 薩摩藩士の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀らと長州藩士の木戸孝允・伊藤博文・広沢真臣が薩長同盟の確認と薩長連合軍による倒幕出陣の具体的な協議の場所となった会見所も残っている。
松田屋ホテル