塩沼亮潤さん(前)(2015/04/13)
たまたま録画していたSWITCHインタビュー達人達「角幡唯介×塩沼亮潤~生の輪郭 命のかたち~」(Eテレ)を、日曜日の昼下がり観る機会があった。地球最後の未踏地帯を単独踏破した探検家・角幡唯介と千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)という命がけの荒行を達成した僧侶・塩沼亮潤さんの対談である。
その中で塩沼亮潤さんの穏やかな表情と語り口、話される内容の深さに興味を抱いた。破天荒の大行を成し遂げられた不世出の僧侶だから、いかつい相貌を考えていたら見事外れてしまった。早速スマートフォンで検索すると、「人生生涯 小僧のこころ(致知出版社)」というものを執筆されている。急に読みたくなって天文館の紀伊國屋書店に行ったが在庫がなく、マルヤガーデンのジュンク堂書店に2冊おいてあることが判った。
早速買ってきて、精読には程遠いが、大方読み終えた。
ところで塩沼さんは奈良県吉野の大峯山(おおみねさん)で、1999年に千日回峰行を成しとげて、大阿闍梨の称号をもらっている。なんと片道24キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて一日で往復、連続9年の歳月をかけて4万8千キロを歩きとおしたのである。平成3年から始めて11年に満行を終えている。
それにしてもすごいことである。行によりこのような人格が形成されたのか、通読して感じたのは謙虚さと素直さである。
回峰行とは一日も休まず同じ時間に同じ道を登り、下るという繰り返しを実践する荒行である。一見、単調な行のようだが、「すさまじき」の一言に尽きる。道が開かれた明治時代以降でも、この行を完遂した人はわずかに2人で、3人目はまだ出ていないことからもその凄さが判るというものである。標高364メートルの蔵王堂を0時半に発ち、漆黒の中を提灯と杖を頼りに延々24キロの険しい山道を登り、8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に至る。同じ道を下って15時半に帰堂、自ら掃除洗濯、翌日の準備をして19時に就寝、23時半には起床。往復48キロ、標高差1300メートル超を毎日歩くのだ。ちなみに正月の箱根駅伝で、最長かつ最難関の山登りの5区でも、距離23.4キロで標高差800メートル超である。しかも千日回峰行では蔵王堂からの4キロは林道だが、それからは登山家も通わぬ獣道。地に脈打つ大木の根を踏み越え、岩をよじのぼり、半歩先は断崖絶壁という道を歩きとおす。孤独の行が、開山の間(5月~9月)毎日繰り返され、9年かけて1000日を数える。
そして翌年には四無行(断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける)も満行し、現在は故郷仙台に開山した慈眼寺の住職を務める。
本の中には「5月の山頂は雪が降ることも珍しくなく、6月になると栄養失調になり、梅雨明けとともに猛暑、そして台風や雷のシーズンが訪れ、その頃は疲れもピークで血尿が出ます。加えて、40度近い高熱が出たこと、下痢が止まらなかったこと、心臓の具合が悪くなったこと、いろいろなアクシデントがありました。しかし、行の間は寺の敷地から出ることは許されませんから、医者に診てもらうことはできず、もちろん行を休むこともできません」と書かれている。
なぜ、千日回峰行をしようと思われたのかと言う問いには「小学生の頃、酒井雄哉大阿闍梨(比叡山で千日回峰行を2度満行)の行をテレビで見て『自分もこの行をやりたい』という感情が湧いたことを覚えています。それがきっかけですが、後から思えば回峰行者になることが私の定めだったのでしょう。あとは、人が好きだから、ではないでしょうか。人と人は仲良くするのは意外と難しいものですが、みんなが仲良く暮らせる世の中になったらいいな、そのためには自分に嫌いな人がいたらダメだな、そんな自分を克服したい。それが行につながったのだと思います」。
その中で塩沼亮潤さんの穏やかな表情と語り口、話される内容の深さに興味を抱いた。破天荒の大行を成し遂げられた不世出の僧侶だから、いかつい相貌を考えていたら見事外れてしまった。早速スマートフォンで検索すると、「人生生涯 小僧のこころ(致知出版社)」というものを執筆されている。急に読みたくなって天文館の紀伊國屋書店に行ったが在庫がなく、マルヤガーデンのジュンク堂書店に2冊おいてあることが判った。
早速買ってきて、精読には程遠いが、大方読み終えた。
ところで塩沼さんは奈良県吉野の大峯山(おおみねさん)で、1999年に千日回峰行を成しとげて、大阿闍梨の称号をもらっている。なんと片道24キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて一日で往復、連続9年の歳月をかけて4万8千キロを歩きとおしたのである。平成3年から始めて11年に満行を終えている。
それにしてもすごいことである。行によりこのような人格が形成されたのか、通読して感じたのは謙虚さと素直さである。
回峰行とは一日も休まず同じ時間に同じ道を登り、下るという繰り返しを実践する荒行である。一見、単調な行のようだが、「すさまじき」の一言に尽きる。道が開かれた明治時代以降でも、この行を完遂した人はわずかに2人で、3人目はまだ出ていないことからもその凄さが判るというものである。標高364メートルの蔵王堂を0時半に発ち、漆黒の中を提灯と杖を頼りに延々24キロの険しい山道を登り、8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に至る。同じ道を下って15時半に帰堂、自ら掃除洗濯、翌日の準備をして19時に就寝、23時半には起床。往復48キロ、標高差1300メートル超を毎日歩くのだ。ちなみに正月の箱根駅伝で、最長かつ最難関の山登りの5区でも、距離23.4キロで標高差800メートル超である。しかも千日回峰行では蔵王堂からの4キロは林道だが、それからは登山家も通わぬ獣道。地に脈打つ大木の根を踏み越え、岩をよじのぼり、半歩先は断崖絶壁という道を歩きとおす。孤独の行が、開山の間(5月~9月)毎日繰り返され、9年かけて1000日を数える。
そして翌年には四無行(断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける)も満行し、現在は故郷仙台に開山した慈眼寺の住職を務める。
本の中には「5月の山頂は雪が降ることも珍しくなく、6月になると栄養失調になり、梅雨明けとともに猛暑、そして台風や雷のシーズンが訪れ、その頃は疲れもピークで血尿が出ます。加えて、40度近い高熱が出たこと、下痢が止まらなかったこと、心臓の具合が悪くなったこと、いろいろなアクシデントがありました。しかし、行の間は寺の敷地から出ることは許されませんから、医者に診てもらうことはできず、もちろん行を休むこともできません」と書かれている。
なぜ、千日回峰行をしようと思われたのかと言う問いには「小学生の頃、酒井雄哉大阿闍梨(比叡山で千日回峰行を2度満行)の行をテレビで見て『自分もこの行をやりたい』という感情が湧いたことを覚えています。それがきっかけですが、後から思えば回峰行者になることが私の定めだったのでしょう。あとは、人が好きだから、ではないでしょうか。人と人は仲良くするのは意外と難しいものですが、みんなが仲良く暮らせる世の中になったらいいな、そのためには自分に嫌いな人がいたらダメだな、そんな自分を克服したい。それが行につながったのだと思います」。
