Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

重症心身障碍児(者)病棟(後)(2015/04/07) 

のどかな春の昼下がり道は比較的すいており、13時ごろには30年余りの思い出の詰まった病院に着くことができた。10号線で変わったことと言えば、大崎花近くで2車線の4車線化への工事が行われていたこと、重富の近くにホテルが建設されていたぐらいである。そして病院の近くまで来ると、今回新築となった4階建ての重症児病棟を眺めることができた。
 病院に着くと、まず大病を克服して仕事に復帰された電話交換手の野元さんに会ったが、ショートカットになり以前より若く元気に見えた。辛抱強く頑張ったので、神様がご褒美として「新たな命」をプレゼントしたのだろう。その隣に松井君もいたが、この2年で事務室のメンバーも大幅に変わっていた。そのあといつも勝手に名誉院長室として利用させてもらっている医療安全室に立ち寄ると、医療安全管理者の恒吉さんと教育担当師長の後藤さんがいる。後藤さんはこの4月から奄美に転勤になるということで、「涙の別れ」をした。その後、地域医療連携室に立ち寄り、相変わらずの冗談で談笑してケーキを渡して部屋を出た。
 事務部長の西田さんとも歓談した後、長い中央廊下を歩いたが、私が病院の桜の開花の標準木としている手術室に行く角に植えられている大きな桜は一部の枝のみが開花していた。
 筋ジス病棟をそのまま素通りして病棟前の桜並木を通ったが、まだ一輪も咲いていない。ぽかぽか陽気で、車椅子の患者さんが遊んでいる。緩和ケア棟前の義父を偲んで義母が植えた桜は品種が異なるようで、紅色の花が満開である。墓前に供えるべく写真を撮ったのち、隣接の養護学校にでかけた。この3月で定年退職されるという永田校長に挨拶したいと思ったからである。永田校長は私と入れ違いに養護学校に来られたが、今年の夏に開催される「九州地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会鹿児島大会」での講演の依頼に南風病院まで来てくれたので顔見知りになっていた。
 筋ジス病棟は一階から回ったが、当然のこととはいえそれぞれに病状はかなり進行していた。そしてこの2年間でも、旧知の日高、岡村、有馬、宮田君などが相次いで亡くなった。30年前に私が初めてこの病棟に来たころは、皆元気であり病院という雰囲気はなかった。毎日が合宿のようなものだった。当時の「生き残り組」の大原君や石橋さん、木脇さん、﨑田さん、今村兄弟、王原くんや、小野君に挨拶したが、山田君は寸出しており見当たらなかった。
 重心病棟の開棟式は14時から行われたが、テープカットなど型通りのものであった。そのあと、新築の病棟を見学した。鉄筋4階建てで、1階が療育指導室、通所「スマイル」、リハビリ室で、2階から4階が入院病棟である。まだベッドなどが入っていないこともあって、なおさら広く感じられた。一人の重症児患者のお父さんが、「これだけ広ければ、有難いな」と笑顔で話されていた言葉を聞いて、「よかったなあ」と実感した。今日だけ開錠されるという屋上にも昇ったが、桜島や霧島連山など、雄大な大パノラマを見渡すことができた。