Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

再びの越後路(1)~出発~(2015/05/29) 

私はこれまで数え切れないほど飛行機に乗っているが、運良く大きなトラブルに巻き込まれたことはなかった。それでも鹿児島空港の天候悪化で福岡空港に着陸したり、また滑走路に行く途中で(とんでもない)乗客からの「預けた荷物の中の携帯電話の電源を消し忘れた」という「黙っておればすみそうな」申告で、ボーディングブリッジに引き返す羽目になったこともある。現在では飛行モードに設定しておけば電源を切る必要もなくなんということはなかったのだが、当時は申告があった以上、航空会社としては規則に従わざるを得なかったのだろう。
 たまたまこの朝の日経新聞「私の履歴書」では、元日立製作所社長の川村隆さんが「墜落直前に助けられる」というタイトルで、次のような貴重な体験を披露している。
 1999年7月23日に、羽田発新千歳行きの全日空61便に乗り込んだときに、ハイジャックに遭遇した。犯人は精神的に不安定な飛行機の操縦ゲームが好きな若者で、「自分で操縦してレインボーブリッジをくぐってみたかった」のだという。犯人は機長を刺殺し、自分で横田基地への着陸を試みるがうまくいかない。その時、たまたま偶然その便に乗り合わせた非番の全日空パイロットの山内純二さんという人が、ドアを蹴破ってコックピットに突入し、操縦桿を奪い返したのだという。まさに間一髪の出来事だった。
 川村さんはこの事件で人生観が変わったという。一つは「人はいつ死ぬかわからないのだから、毎日を大切に生きなければならない」ということ、もう一つが「ラストマン(最終責任者)の意識を改めて強く持ったこと」だという。山内さんの行動は航空会社の定めたマニュアルに反した行動だったわけだが、「緊急事態では自分の頭で考え、自分載せK9委任で行動しなければならない」ということである。おそらくこのような経験があって、墜落寸前の日立を見事に再生できたのだろう。
 この川村さんの履歴書は昨日(5月31日)で終わりとなったが、前回の履歴書が破天荒な似鳥社長だっただけに、落ち着いて読み進むことができた。
 さてこの日、5月20日であるが、新潟での神経学会に出席のため、そして今日の12時10分から予定されている2017年の世界神経学会のための諮問委員会に出席するため、伊丹空港経由で新潟に向かう予定を立てたのである。
 今回の大阪行きの飛行機で、小さな「事件」が起きた。
 鹿児島空港を定刻の7時35分に動き出したのだが、滑走路に行く途中で「機材に不都合が起きましたので整備のために引き返します」という機内アナウンスである。伊丹空港で9時40分の乗り継ぎだったのでどうなることかと心配したが、「私が心配してもどうにもならない」と腹をくくった。幸いにも8時20分頃に整備がすんで、離陸して9時20分過ぎに伊丹空港に着いた。客室乗務員に事前に相談していたので、機内放送で「新潟にお乗り継ぎのお客様は、地上係員にお知らせください」というアナウンスもあり、指示通りに「駆け抜けて」無事新潟行きの飛行機に無事に乗り込むことができた。
 伊丹からは約一時間、右手に富士山を眺めながら天気もよかったので、ほとんど揺れることもなく定刻の10時45分には新潟空港に着陸した。
 空港からはリムジンバスで約25分で新潟駅に到着、宿泊予定のホテルメッツ新潟に荷物を預けて会場の朱鷺メッセに向かった。世界神経学会開催のための諮問委員会は12時10分から、ホテル日航新潟の30階で始まった。2年後の2017年9月に京都で開催予定であるが、2年先となると「私の出番はあるまいし、健康かどうかもわからない」と、正直言って余り関心はもてない学会である