再びの越後路(2)~旧知の方々との出会い~(2015/06/01)
旅の楽しみはかねて馴染みの薄い土地で美味しい食材を食べて、旧知の友だちに会うことなどである。今回の新潟での学会は天気に恵まれ、美味しいものが食べられ、多くの人との出会いがあって、また私には珍しく学会を利用して観光をする機会も持てて楽しい数日間となった。
新潟は今まで何度も訪れたことがある。例えば東京で研究班会議が金曜日と日曜日にあり、たまたま土曜日が空いていたときなど、新幹線で新潟に遊びに行ったこともあった。そんなこともあり、ALS協会新潟県支部の事務局長をされていた若林さんとは随分長いお付き合いになる。20数年前、難病のケア・システム研究班のときに、当時、新潟大学神経内科の堀川先生に紹介されたのが初めてだと記憶している。以降、新潟を訪れた時にはALSの患者さんの自宅に連れて行ってもらったり、また守岡君(筋ジストロフィーで現在も懸命に闘病されている)の家では研究班の帰りにスライドを使いながらミニ講演会を開催したこともあった。今回、ご一緒に会食した大西先生から借りたプロジェクターが加熱して煙を出しびっくりしたのも懐かしい思い出である。また良寛の五合庵や鹿児島県出身だという落さんの経営するワイナリーなどにも連れて行ってもらったこともある。
一昨年、拙著「難病と生きる」を編集したときには、ご縁のある人の一人として若林さんにも寄稿をお願いしておきながら当方の手違いで本への掲載を忘れてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。
さて今回の神経学会のメインテーマは、西澤先生らしく「社会の中の神経学」というもので、メディカルスタッフの演題発表も用意されていた。若林さんは堀川先生や大西先生の指導を受けて、「患者会とALS」というタイトルのポスターを展示されていた。歴史と活発な活動内容を示す素晴らしいもので、共同演者として堀川、大西、織田、有馬、横山、川崎さんなどが名前を連ねていた。
その夜は会場となった日航ホテルの「結い」というレストランで、上記メンバーで懇親会(打ち上げ会)が開かれた。席上、学会の時に配布された新潟日報の特集「日本神経学会学術大会」の中に、堀川先生や大西先生は勿論のこと神経内科で開業されている多くの先生方が「広告」を出されていた。鹿児島では神経内科で開業されている先生は少ないので大西先生にこの違いを尋ねると、「椿先生が新潟に神経内科を開設されたのが昭和40年で、鹿児島で井形先生が開設されたのが昭和46年であり、この違いでしょうかねえ」と話されていた。
また学会では、昭和50年前後に働いていた都立府中病院の先生方にも何人か出会うことができた。直接の上司だった山田先生(もともと新潟大学のご出身で、現在83歳であるが、臨床医として小平市の病院で働かれているという)、伊藤淑子先生(東大出身の才媛の女医さんで、しばらくの間ご一緒した)、いつもの佐橋先生、また「結い」で懇親会をした時の隣の部屋には佐藤猛先生がおられて、しばらく歓談した。その他にも、会場で多くの先生方に出会うことができた。
学会の仕事としては、次期「理事選挙管理委員会の委員長」に任ぜられた。ちょっと気は重いが、事務局の池田さんも協力していただけるということでどうにかなるだろう。
新潟は今まで何度も訪れたことがある。例えば東京で研究班会議が金曜日と日曜日にあり、たまたま土曜日が空いていたときなど、新幹線で新潟に遊びに行ったこともあった。そんなこともあり、ALS協会新潟県支部の事務局長をされていた若林さんとは随分長いお付き合いになる。20数年前、難病のケア・システム研究班のときに、当時、新潟大学神経内科の堀川先生に紹介されたのが初めてだと記憶している。以降、新潟を訪れた時にはALSの患者さんの自宅に連れて行ってもらったり、また守岡君(筋ジストロフィーで現在も懸命に闘病されている)の家では研究班の帰りにスライドを使いながらミニ講演会を開催したこともあった。今回、ご一緒に会食した大西先生から借りたプロジェクターが加熱して煙を出しびっくりしたのも懐かしい思い出である。また良寛の五合庵や鹿児島県出身だという落さんの経営するワイナリーなどにも連れて行ってもらったこともある。
一昨年、拙著「難病と生きる」を編集したときには、ご縁のある人の一人として若林さんにも寄稿をお願いしておきながら当方の手違いで本への掲載を忘れてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまった。
さて今回の神経学会のメインテーマは、西澤先生らしく「社会の中の神経学」というもので、メディカルスタッフの演題発表も用意されていた。若林さんは堀川先生や大西先生の指導を受けて、「患者会とALS」というタイトルのポスターを展示されていた。歴史と活発な活動内容を示す素晴らしいもので、共同演者として堀川、大西、織田、有馬、横山、川崎さんなどが名前を連ねていた。
その夜は会場となった日航ホテルの「結い」というレストランで、上記メンバーで懇親会(打ち上げ会)が開かれた。席上、学会の時に配布された新潟日報の特集「日本神経学会学術大会」の中に、堀川先生や大西先生は勿論のこと神経内科で開業されている多くの先生方が「広告」を出されていた。鹿児島では神経内科で開業されている先生は少ないので大西先生にこの違いを尋ねると、「椿先生が新潟に神経内科を開設されたのが昭和40年で、鹿児島で井形先生が開設されたのが昭和46年であり、この違いでしょうかねえ」と話されていた。
また学会では、昭和50年前後に働いていた都立府中病院の先生方にも何人か出会うことができた。直接の上司だった山田先生(もともと新潟大学のご出身で、現在83歳であるが、臨床医として小平市の病院で働かれているという)、伊藤淑子先生(東大出身の才媛の女医さんで、しばらくの間ご一緒した)、いつもの佐橋先生、また「結い」で懇親会をした時の隣の部屋には佐藤猛先生がおられて、しばらく歓談した。その他にも、会場で多くの先生方に出会うことができた。
学会の仕事としては、次期「理事選挙管理委員会の委員長」に任ぜられた。ちょっと気は重いが、事務局の池田さんも協力していただけるということでどうにかなるだろう。
