養護学校の先生方(前)(2015/05/25)
今年の8月に第55回九州地区病弱虚弱教育研究連盟研究協議会(長い名称だなあ)が鹿児島市で開催されるということで、講演を頼まれている。この協議会は「全国の国立療養所(現在の国立病院機構)などに入院中の病弱虚弱児(筋ジストロフィーや重度心身障碍児など)の療育及び教育の当面する課題について,病院・学校関係者等が日ごろの実践活動や今後の方向性を研究協議し病弱虚弱教育の充実と発展、加えて特別支援教育における病弱虚弱教育のあり方を探る」というものである。
1984年に私が南九州病院に赴任したころは、養護学校の先生方とは毎日顔を合わせておろ、文字通り「病院・学校関係者」が一体となっていた。というのも現在のように学校は独立した建物ではなくて、南九州病院の一部に学校があるようなもので、養護学校の先生方もいつも病棟内に出入りして生徒を指導しているのが普通の光景だった。なかには消灯前までベッドサイドで子供たちに童話を読んで聞かせたり、詩や物語の創作の指導までしてくれていた先生もおられた。小学生だった牧野君など、畠中先生(現在高山町で実家の住職を継いでいる)の指導で「童話作家」になったが、先生が辞められたらなにもしなくなった。教育の大切さを痛感したものである。
今考えると、当時の入院患者は筋ジストロフィーという病気はあってもまだ元気な小・中学生が多くて、少し手足が不自由というだけで人の手を借りることもなく普通に生活できていた。毎日、中庭で野球などして遊んだものである。
さて九州各地で開催されるこの協議会には、学校の先生方と旅行がてら一緒に行くことが多かった。沖縄や熊本、大分とみんなで観光地を巡ったこともいい思い出となっている。
当時、私はずっと校医という立場でもあったので、養護学校の入学式や卒業式は勿論のこと、始業式や終了式でも「一言」挨拶を述べるのが常だった。話すこともだんだんなくなってくると、当時熱中していた「プロ野球」の話題をしたものである。入学式で型通りの校長や県教育員会の挨拶に引き続いて、「病院からの挨拶」で、私が野球の話など「いい加減なこと」を話すので、場の雰囲気が急にトーンダウンした。生徒の方は喜んでくれていたが、「入学式ではちょっと・・・」とそれとなく学校関係者に言われたこともあった。それでも先生方の中には型通りの挨拶でないので、「楽しい」と言ってくれる先生もいた。
いずれにせよ、養護学校の多くの先生方とは個人的にもずいぶん親しくしていただいたものである。
そのお一人の久保先生(女性)からは、学校を辞められたのちも時々電話をもらったり、先生のご自宅で催される「月見の宴」などに声をかけられたこともあった。先生ご自身、ご主人の仕事の都合で早期退職されたのち、城山展望台での観光ガイドなどさまざまなボランティア活動にいそしまれている。
先日も電話があり、当時の養護学校の先生方が集まって昼食をすることになり、「先生も是非、参加していただけませんか」というお誘いを受けた。そのあと、「先生が参加されるというと、また人が増えて、20人近くなりそうで・・・」と言われる。そこまでおだてられると調子に乗って、「そんなら10分ほど頂いて、健康講話をしましょうか」ということに話が進んだ。
1984年に私が南九州病院に赴任したころは、養護学校の先生方とは毎日顔を合わせておろ、文字通り「病院・学校関係者」が一体となっていた。というのも現在のように学校は独立した建物ではなくて、南九州病院の一部に学校があるようなもので、養護学校の先生方もいつも病棟内に出入りして生徒を指導しているのが普通の光景だった。なかには消灯前までベッドサイドで子供たちに童話を読んで聞かせたり、詩や物語の創作の指導までしてくれていた先生もおられた。小学生だった牧野君など、畠中先生(現在高山町で実家の住職を継いでいる)の指導で「童話作家」になったが、先生が辞められたらなにもしなくなった。教育の大切さを痛感したものである。
今考えると、当時の入院患者は筋ジストロフィーという病気はあってもまだ元気な小・中学生が多くて、少し手足が不自由というだけで人の手を借りることもなく普通に生活できていた。毎日、中庭で野球などして遊んだものである。
さて九州各地で開催されるこの協議会には、学校の先生方と旅行がてら一緒に行くことが多かった。沖縄や熊本、大分とみんなで観光地を巡ったこともいい思い出となっている。
当時、私はずっと校医という立場でもあったので、養護学校の入学式や卒業式は勿論のこと、始業式や終了式でも「一言」挨拶を述べるのが常だった。話すこともだんだんなくなってくると、当時熱中していた「プロ野球」の話題をしたものである。入学式で型通りの校長や県教育員会の挨拶に引き続いて、「病院からの挨拶」で、私が野球の話など「いい加減なこと」を話すので、場の雰囲気が急にトーンダウンした。生徒の方は喜んでくれていたが、「入学式ではちょっと・・・」とそれとなく学校関係者に言われたこともあった。それでも先生方の中には型通りの挨拶でないので、「楽しい」と言ってくれる先生もいた。
いずれにせよ、養護学校の多くの先生方とは個人的にもずいぶん親しくしていただいたものである。
そのお一人の久保先生(女性)からは、学校を辞められたのちも時々電話をもらったり、先生のご自宅で催される「月見の宴」などに声をかけられたこともあった。先生ご自身、ご主人の仕事の都合で早期退職されたのち、城山展望台での観光ガイドなどさまざまなボランティア活動にいそしまれている。
先日も電話があり、当時の養護学校の先生方が集まって昼食をすることになり、「先生も是非、参加していただけませんか」というお誘いを受けた。そのあと、「先生が参加されるというと、また人が増えて、20人近くなりそうで・・・」と言われる。そこまでおだてられると調子に乗って、「そんなら10分ほど頂いて、健康講話をしましょうか」ということに話が進んだ。
