Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

南大阪難病ケア・レジデントカンファレンス(2015/06/29) 

(いつの間にか、だいぶ経ってしまいました)
 昨夜(6月11日)は大雨警報で新幹線も新水俣駅でしばらく待機を余儀なくされたそうだが、翌日の12日はうって変わって好天となった。
 朝、11時から東館新築の「上棟式」を、南洲神社の神主さんにお願いして「にぎにぎしく」執り行った。そのあと「餅撒き」となったが、小さい頃田舎の村では棟上式があると聞くと、村中の子どもたちがわんさと集まったものである。私も久しぶりにたくさんの餅を拾ってやろうと気合いを入れていたら、新山さんに「院長は投げる方ですよ」と促されて渋々壇上に登った。集まった人はほとんどが師長さん方で、餅やお菓子、お金(5円玉)など壇上からばらまいた。
 その日の昼からは、夜の講演会(南大阪難病ケア・レジデントカンファレンス)のために大阪に向かった。かねて親しくしている大阪府立急性期総合医療センターの神経内科部長の狭間先生から、「後期研修医(レジデント)向けの講演」を頼まれていたからである。
 先生とは十数年前に大阪で、難病の講演の後に通天閣の見える居酒屋で痛飲して以来の友達である。後で知ったことだが、阪大を卒業後しばらく研修した後は大阪府立病院一筋で臨床に従事されてきたようである。
 会場はセントレジスホテル大阪で、宿泊も同じホテルにとってくれていた。数年前にできたというホテルだったが、さすがに高級な雰囲気で椅子や机などの調度品がいい雰囲気を醸し出していた。宿泊客は外人さんが多いようである。
 講演まで十分な時間があったので、まずチェックインして26階の部屋でくつろぐことにした。大きな窓の向こうには「御堂筋」の車の流れをつぶさに眺めることができる。大阪は不案内なのでインターネットで検索すると、御堂筋という名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)が沿道にあることに由来するのだという。ちょうど眼下に見えるお堂が、北御堂のようである。「全長4,027メートル、幅43.6メートル(24間)、全6車線の幹線道路で、日本の道100選のひとつで、交通量が増加したため1970年の大阪万博の開催を機に国道1号・国道2号と交差する梅田新道交差点より南の全車線が南行きの一方通行となる」と書かれている。御堂筋といえば私には、海原千里・万里による「大阪ラプソディー」の「御堂筋は恋の街」は懐かしい唄である。
 またこのホテルに来る途中、大きな橋を渡ったが、これが大阪の礎を築いた豪商、淀屋常安にちなんだ「淀屋橋」だということを知った。たまたまNHKテレビの「知恵泉」でこの人物を取り上げていたのでよく合点が行く。「常安は戦国から江戸時代にかけて天下人、秀吉や家康と渡りあい、100兆円という天文学的な富を築いた。武士から転身し、材木商として身を起こした常安の商いの極意は度を『超すサービス』だった。あっと驚く低価格での入札や、無償での陣屋を建設するなど、赤字覚悟の戦略で天下人たちにインパクトを与え躍進していった。常安は富の使い方も大胆だった。大坂の陣で荒廃した大坂の再建に惜しげも無く私財を投入し、私費で公共の流通拠点を建設するなど、『まず与える』という経営戦略をとった。米の取引においても、天候によって乱高下した物価を安定させるため世界で初めて『先物取引』を導入した。リスクを覚悟で目先の利益より万人のためのサービスを優先したことで市場は広がり、結果的に天文学的な富が常安のもとに入ってくることになった」のだという。