Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

日本ALS協会鹿児島県支部総会(後)(2015/06/25) 

・54歳のALSの男性の奥さんで、看護師をしているという女性が「警察官をしていましたがALSとなり、事務職に異動させてもらいました。でもこの6月で、28年務めた仕事を辞めなくてはいけなくなりました」と言いながら途中から号泣された。「主人には病名は言わないつもりでしたが、判ってしまいました。今の目標は、主人と北海道を旅行することです」
 ・○口さんは「父が15年ほど前にALSとなり、長い間入院していました。池の鯉を見たいというたっての希望で、家に連れて帰ったのですが、愛犬が憶えてくれていてびっくりしました。共に生きてきて良かったと思っております 」と話された時、池の鯉にエサをやっていた在りし日(30年ほど前になるかな)の小川内さんを思い出した。
 小川内さんは姶良町の木津志という、こんな田舎が姶良にもあるのかと思われるようなのどかな山村で、裏山からの清水で鯉を飼っていた。ALSで気管切開をしていてレチナというカニューレを喉に差し込んでいたので、痰がこびりつくとひょいと自分の手で取り出して、その清水で洗って、また器用に切開孔に戻していた。「それでも、一度も感染は起こしませんでした」と在宅ケアの研究会で発表した。この分野の重鎮の川村さんが「そんな・・・」と絶句したような口調でコメントされたが、清潔操作など細かいことを言い出したらそもそも在宅ケアが成立しない時代だった。
 ・〇色さんは奥さんが出席して、進行してパソコンへの入力ができなくなったこと、「生きる思い」という本を出版したので、皆さんにも読んでほしいこと、そして自分の熱い思いを述べられた。
 ・会長の伊勢知さんは、ご主人も出席されており、一昨年大きな交通事故で生死も危ぶまれるような状況だったが、すっかり回復していてびっくりした。私が厚地病院に見舞いに行ったことも全く記憶にないということで、当時の話を笑い話に替えて話すことができた。
 数年前にもお話しされた76歳になるという中学時代のバレー部を指導されていた恩師が、病気になってからの再会など貴重な話をされた。「あんなに元気にはつらつと活躍されていた礼子さんが病気になって、当初は私の方がショックが大きく、落胆し失望したものでした。ところがしばらく経ってパソコン画面に礼子さんの思いなど読むことができるようになって、再度うれしい驚きでした。同情から尊敬に変わった一つの要因です。コミュニケーションをとれるということがいかに大切なことかを知りました。またこの患者会には若いボランティアや遺族の方がたくさん参加されていることも驚きです。私は地元鹿屋でハンセン病の支援の会をしていますが、会員が高齢化してだんだん先細りになっていく現状です。ハンセン病の闘いも同じことが言えますが、お願いするだけでなく生きる権利としてあたりまえのこととして要求していかなければなりません」。
 ・〇峰さんはご本人と奥さん、娘さんの3人で出席されていた。「私は南九州病院でALSの告知を受けた時、まず福永先生から『何か趣味がありますか』と聞かれました。歌うことが趣味でしたので、積極的にいろんな機会を利用して歌って来たのですが、最近では息苦しくなって歌うことができなくなりました。ただALSでは何か趣味をもって、それに没頭することは大切なことかと思っています」
 夜は患者会などの関係者の懇親会が「極」で開かれ、和気あいあいとした雰囲気で終わった。