Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

与論島での難病相談(5)(2015/06/16) 

翌日は昼過ぎの飛行機で鹿児島に帰る予定になっていたが、朝方、脊髄小脳変性症の73歳の男性(Wさん)の訪問が予定されていた。あらかじめ奥様に連絡すると、「10時半に少人数でお願いします」ということで、気難しい方だろうかと少しいぶかりながら私と山口さん、そして保健センターから歯科衛生士の末原さん3人で訪問することにした。
 前もって知らされていた情報では、Wさんは1942年静岡県の生まれで日大芸術学部写真学科を卒業後、長いことコマーシャル・フイルムのディレクター/プロジューサーとして活躍されていた。多くの大企業のCMを手掛けてきたが、とりわけ「いいちこのCM」は20年も続くWさんのライフワークとなった。そういえば、なんとなく私もあの斬新で時代を先取りしたような一風変わったコマーシャルを思い出す。
 2002年から2010年まで、東北芸術工科大学の教授となり、200人以上の生徒を世に出した。そして2011年から与論島に移住。奥様はドイツ国籍で、脳血管性の軽度認知症があるということ(このことについては、ドイツ国籍ということも含めて全くの誤った情報だとわかった)。これも後にわかったことだが、マリアさん、すなわち奥様は20数年前にはブロンズの女流棋士として注目され、将棋雑誌の表紙を飾ったこともあるという。
 私がお会いする前に最も関心を持ったのは、当然のことながら「どうして与論に」ということだった。ただ訪問する時点の情報は多くはなく、何の先入観もなかったので普通に接することができた。もしさまざまな情報を持っていたら、どこかぎくしゃくしたものがあったのではないだろうかと察してしまう。それほど劇的な人生を歩まれたお二人だった。
 Wさんの家は宿泊していたヨロン島ビレッジから坂道を歩いて数分の所にあり、瀟洒な平屋作りの洋館風の建物で、生け垣には真っ赤なブーゲンビリアが咲いている。庭の前で保健センターの歯科衛生士の女性と立ち話していると、玄関が開いて大柄な金髪の女性が出てこられて、流ちょうな日本語で「どうぞお入りください」と促された。居間には6人がけほどの大きなテーブルがあり、端整な顔立ちの紳士が微笑を浮かべながら椅子に座っておられた。目の前の老人は誠実そうなお人柄にみえて、映像関係の派手な仕事をされていたとは想像がつかなかった。この家は高台に位置しているので眼下には与論の町並みと、その向こうには青い海原が広がっており、何とも形容しがたい美しい風景である。「夕陽がきれいだということで、この場所に決めたんですよ」と、小脳症状特有のゆっくりした話しぶりである。
 病歴を伺うと、60歳頃、当時教授職にあった山形市で追突事故に遭い、MRIの検査などでSCD(脊髄小脳変性症)と診断された。「発病の時期は60歳前後ということになりますか?」と尋ねると、横から奥様が「55歳の頃から所作が少しおかしかったのじゃない?」と言葉を挟まれる。現在の症状としては、小脳失調のために歩行が不安定、言葉がしゃべりにくい、食べ物を引っかけやすいということである。食事やトイレ、入浴(シャワー)は自立されているが、着衣やさまざまな場面で奥様の介助が必要のようである。
 途中で奥様が立ち上がり、イチゴのシャーベットを用意してくれたが、これが実に美味しかった。一時間ほどいろいろな話をして、つい時の経つのを忘れてしまい、徳之島組はフェリーの時間に遅れそうになった。帰るときにはお二人から名残惜しそうに、「また来てください」と玄関まで見送ってくれた。