Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

与論島での難病相談(2)(2015/06/11) 

この日に最初に相談に来られたのは68歳のパーキンソン病の女性で、夫が自動車の整備工場を経営していて事務の仕事を手伝っているという。3人の子どもがいて、上の二人は大阪に住んでいて、次男が近くに住んでいる。部屋に入ってくる歩き方も特に問題もなく、表情も豊かで大きな声も出すことができている。2年ほど前に歩くときに片方にふらつくような感じがして息子のいる大阪の病院で精密検査をして、パーキンソン病の診断を受けた。ECドパールとエクセグランを飲み始めたが、症状にはほとんど変化はなかったという。車の運転もできるし、バイクにも乗っているということで、どう考えても特定疾患の重症度では医療補助の対象ではないと考えるが、ここでは深く考えないことにする。診断の均質化が理想的であり今回の新しい難病法の施行の意味もその辺りにあるのだが、離島など専門医のいないところでは、やむを得ないことかもしれない。ただ本人は「難病手帳」を交付されたことで、必要以上に重篤感を持ち落ち込んでいる。病院の窓口でも、事務の人の視線が気になって仕方ないという。自分が難病だということは人に知られたくないので、今日も相談に来るのには大きな決心を必要としたということである。
 簡単に一通り診察した後、私が病気のこと、病気の程度、今後の進行具合など詳しく話すと、「本当にありがとうございました。これで生き返った気が致します」などと、想定外の感謝の気持ちを示される。このような小さな島では世間体を気にして、「難病」だと烙印を押されると必要以上に落ち込み、暗い気持ちになっていたようである。指定難病になると医療費の自己負担は軽減されるが、患者本人にはそれ以上に精神的なダメージを受けたようである。
 次はいよいよALSの71歳の男性で、私もALSと聞いて少々構えていた。事前の資料では、与論の中学校を卒業して、愛知県の岡崎で着物の仕立ての修行を始める。30歳の頃に郷里の与論島に帰ってきて、本人が紳士物を、奥さんが婦人物を扱い、真面目に懸命に働いた。4人の子どもに恵まれ、後で聞いた話であるが親戚にあたるという男性の話では、その一人の娘さんは4年制大学まで進学して就職したが、数年前に不慮の死を遂げたらしい。
 与論徳洲会病院に入院中だということで、病院の玄関をくぐると徳田寅雄の顔写真と言葉が立派な額に入れて飾ってある。2階の談話室でまず奥さんから話を聞くことにした。ちょっと疲れているような様子だったが、取り乱すこともなくしっかりとした話のできる人だった。
 2年ほど前から、体の調子が悪くなり、今年になって食べるときにむせるようになった。誤嚥して肺炎など起こして病院に入院することもあったが、4月になって再度誤嚥して入院した。5月中旬頃に本人の意志を聞いて、とりあえず胃瘻を造った。医師の説明では気管切開は「しばらく様子を見ましょう」となっていたが、胃瘻造設後数日も経たないうちに痰が多くなり息が苦しくなったので、急きょ気管切開をすることとなった。私たちが面会したのは、気管切開してちょうど一週間ぐらい経ったときである。