与論島での難病相談(1)(2015/06/10)
私は2年前から、がんを主体としている急性期病院である、ここ南風病院の管理者として、がんの早期発見から治療、そして緩和ケア医療までの包括的な「がん医療対策」に取り組んでいる。ただ今回の与論島での難病医療相談では、本来の難病医療の分野で「少しは患者さんのために役に立っている」という充実感を感じることのできた一泊二日のあわただしい日程だった。書き連ねているうちに「長編」となってしまった。
5月28日、11時50分に鹿児島空港を飛び立ったDHC8-Q400というプロペラ機は与論空港に向かった。鹿児島空港の天気は曇り空だったが、「奄美群島では梅雨前線の影響で天候不良により着陸できない場合には、鹿児島空港に引き返すこともございます」という条件付き飛行の機内放送があり、まさかそういう事態にはならないようにと願いながら離陸した。
今年の難病相談・支援センターの離島での相談は「与論島」と決まっていた。台風が接近する前に済ませようと、5月下旬を選んだのである。センターの保健師の永山さんと二人で鹿児島市から出かけて、徳之島保健所の保健師(山口さんと伊集院さん)と与論島で落ち合う手はずになっていた。徳之島組は徳之島保健所の軽自動車で波之上フェリーに乗船し、途中で沖永良部島でも仕事を済ませた後、与論島に向かったのである。ちなみに山口さんとは昨年の徳之島での相談のときご一緒で、伊集院さんはこの4月に入職した新人保健師だということである。
ところで与論島は私には初めてことだったが、数年前に亡くなった従兄弟の藤林が半世紀ほど前にフイラリア検診もかねて与論島の診療所で働いていたことを思い出した。与論島は奄美群島の内で最も沖縄県に近い位置にあり、南方約22kmには沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)があると記されている。島の人に聞いたところでは、救急の患者は沖縄の病院に搬送されるし、お産も沖縄の病院でしているということである。そのような意味では行政的には鹿児島県であるが、日常の生活や文化は沖縄県に属しているともいえよう。
島の周囲は環礁で囲まれており、美しいサンゴ礁を帰りの機内からも眺めることができた。一島一町であるので、徳之島ほど政争も激しくなく穏やかな島のようである。人口は今では約6,000人弱に減少し、主な産業は農業と観光業ということである。1984年(昭和59年)7月15日にはミニ独立国、「パナウル王国」を設立した。「パナ」は花、「ウル」はサンゴ礁を意味する。
飛行機は桜島の上空を過ぎるとほとんど雲の中の飛行で、時々大きく揺れることはあったが、最初のアナウンスで「覚悟」ができていたこともあり、思っていたほど揺れることもなく与論空港に無事着陸できた。徳之島組の保健師が空港に着くまで20分ほどあるというので、空港内のレストランで「もずく入り」ソバを食べたが、これが美味しかった。私はもくずが大好物であるが、与論の特産品のようである。
徳之島組が小さな公用車で空港まで迎えに来てくれた頃には、豪雨となっていた。少し着陸が遅れたら、上空で旋回することになったのではないだろうか。小さな4人乗りの軽自動車に乗り込んでそのまま与論町保健センターに到着、田畑所長などに挨拶を済ませた。
保健師の山口さんから渡されたリストによると、与論島で神経系難病の受給者証を持っている患者は全部で16人、内訳はパーキンソン病が10人と最も多く、重症筋無力症が2人、ALSと脊髄小脳変性症、進行性核上性麻痺、HAMが各一人となっており、全ての指定難病の受給者は40人ほどだということだった。
5月28日、11時50分に鹿児島空港を飛び立ったDHC8-Q400というプロペラ機は与論空港に向かった。鹿児島空港の天気は曇り空だったが、「奄美群島では梅雨前線の影響で天候不良により着陸できない場合には、鹿児島空港に引き返すこともございます」という条件付き飛行の機内放送があり、まさかそういう事態にはならないようにと願いながら離陸した。
今年の難病相談・支援センターの離島での相談は「与論島」と決まっていた。台風が接近する前に済ませようと、5月下旬を選んだのである。センターの保健師の永山さんと二人で鹿児島市から出かけて、徳之島保健所の保健師(山口さんと伊集院さん)と与論島で落ち合う手はずになっていた。徳之島組は徳之島保健所の軽自動車で波之上フェリーに乗船し、途中で沖永良部島でも仕事を済ませた後、与論島に向かったのである。ちなみに山口さんとは昨年の徳之島での相談のときご一緒で、伊集院さんはこの4月に入職した新人保健師だということである。
ところで与論島は私には初めてことだったが、数年前に亡くなった従兄弟の藤林が半世紀ほど前にフイラリア検診もかねて与論島の診療所で働いていたことを思い出した。与論島は奄美群島の内で最も沖縄県に近い位置にあり、南方約22kmには沖縄本島最北端の辺戸岬(へどみさき)があると記されている。島の人に聞いたところでは、救急の患者は沖縄の病院に搬送されるし、お産も沖縄の病院でしているということである。そのような意味では行政的には鹿児島県であるが、日常の生活や文化は沖縄県に属しているともいえよう。
島の周囲は環礁で囲まれており、美しいサンゴ礁を帰りの機内からも眺めることができた。一島一町であるので、徳之島ほど政争も激しくなく穏やかな島のようである。人口は今では約6,000人弱に減少し、主な産業は農業と観光業ということである。1984年(昭和59年)7月15日にはミニ独立国、「パナウル王国」を設立した。「パナ」は花、「ウル」はサンゴ礁を意味する。
飛行機は桜島の上空を過ぎるとほとんど雲の中の飛行で、時々大きく揺れることはあったが、最初のアナウンスで「覚悟」ができていたこともあり、思っていたほど揺れることもなく与論空港に無事着陸できた。徳之島組の保健師が空港に着くまで20分ほどあるというので、空港内のレストランで「もずく入り」ソバを食べたが、これが美味しかった。私はもくずが大好物であるが、与論の特産品のようである。
徳之島組が小さな公用車で空港まで迎えに来てくれた頃には、豪雨となっていた。少し着陸が遅れたら、上空で旋回することになったのではないだろうか。小さな4人乗りの軽自動車に乗り込んでそのまま与論町保健センターに到着、田畑所長などに挨拶を済ませた。
保健師の山口さんから渡されたリストによると、与論島で神経系難病の受給者証を持っている患者は全部で16人、内訳はパーキンソン病が10人と最も多く、重症筋無力症が2人、ALSと脊髄小脳変性症、進行性核上性麻痺、HAMが各一人となっており、全ての指定難病の受給者は40人ほどだということだった。
