Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

紫陽花(2015/06/04) 

鹿児島県は今年は6月2日に梅雨入り宣言が発表されたようである。生垣や道端に咲いている紫陽花の花を見つけると、やはりこの梅雨の季節が一番よく似合っているように思える。昨年亡くなった日高君も、紫陽花の花をよく描いていた。
 紫陽花は色が多種多様で、同じ花でもよく変化していく。調べてみると、土壌のpH(酸性度)によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」になるのだという。また花色は開花から日を経るに従って徐々に変化する。最初は花に含まれる葉緑素のため薄い黄緑色を帯びており、それが分解されていくとともにアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青に色づいていく。さらに日が経つと有機酸が蓄積されてゆくため、青色の花も赤味を帯びるようになる。これは花の老化によるものであり、土壌の変化とは関係なく起きるそうである。
 紫陽花の花言葉もいくつかあるが、「辛抱強い愛情」というものもある。鎖国時代の長崎に来日したドイツ人医師シーボルトが国外追放となった時(シーボルト事件/1828年)、紫陽花を祖国に持ち帰り「オタクサ(彼が愛した日本人女性、楠本滝にちなんで)」と命名したことによる。
 私には「紫陽花」と聞いて、よく思い出す人や出来事がある。
 まずは平成13年に亡くなった賢一君である。お母さんは現在、当院の一戸建て住宅シェアハウス「おとなりさん」で、昔懐かしいお年寄りが喜びそうな(私も)食事などを提供してくれたりしている。「本職」は「ケアアシスト紫陽花」を主宰されており、この紫陽花という名前は、筋ジストロフィーで20歳で亡くなった息子の賢一君の好きだった花からとったものだと聞いたことがある。
 また鹿児島大学時代の事故で首から下の運動機能を失い、口にくわえた筆で絵を描き続ける霧島市横川町の長丸さんの画集「一筆の旅路 口で描いた心の景色」を、姶良郡医師会訪問看護ステーションの上薗さんから頂いたことがある。「あとがき」に「母の日にカーネーションを、父の日にアジサイを描いて贈ろう」と決心して、口で絵を描き始めたという。「失敗と妥協の連続で、100%満足のいく作品は一つもありません・・・目標を持って一生懸命頑張っていけば必ずよいことがある」と前向きに未来を捉えている。
 最後に、数年前に京都で開催された医療マネジメント学会で座長をしたら、「心配せんでもよい」(佼成出版社)という一冊の本を送呈された。筆者は、お坊さんで、丹波あじさい寺住職の小藪実英さんという方で、「はじめに」には「人生は捨てたものではないなあ。あの悲しみがあったから、今の幸せがあるのだなと、どこからともなく、そんなささやきが聞こえてくるような読後感を味わってもらえれば嬉しいな」と書かれている。文字通り「心配せんでもよい」と、前向きで肯定的な「説法」が並べられている。
紫陽花