Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

大往生(中)(2015/07/16) 

大林さんはここで話を急転させる。
 自殺を手助けさせる非政府組織(NGO)がスイスにあると聞いた。訪れて話を聞くと自殺ほう助という、おどろおどろしい法律用語とは無縁の活動がみえてきた。「私たちがサポートしているのは、やむにやまれず死期を選択した人です」。代表によると会員(スタッフ70人に対し会員数12万人)のなかで昨年一年間に死を望んだ人は約3000人いた。カウンセリングの結果、考えを改めた人2000人、残る1000人にはさらに丁寧にカウンセリングをする。400人は考えを改め、600人が死を選択した。
 使う薬はNaP。この薬を使えるのは自分で飲む、あるいは自分で注射する意志と力がある人に限る。・・・こうして亡くなった人の死因をスイス政府は自殺に認めない。末期がん患者ならその病名が死因になる。
 ・・・今もし同じことを日本ですると、当然、刑法に抵触し、自殺ほう助罪などに問われる可能性がある。一方で多死社会は確実にやってくる。議論をためらっている余裕はないのではないか。
 この寄稿を読みながら、数か月前に観たフランス映画「母の身終い(みじまい)」を思い出した。
 出来心から麻薬密売に手をだし、服役していた長距離トラックの運転手だった48歳の中年男アランが、出所後年老いた母親イベットが一人で暮らす家に身を寄せることから始まる。しかし再就職も思うようにいかず、昔から確執のある母と何かと衝突する。そんなある日、アランは母親が末期の脳腫瘍に冒され死期が近く、スイスの施設で尊厳死を選択する書類にサインしていたことを知る。母親は自分の意思で死ぬ選択をしたのである(フランスでは許されていない)。
 隣人などと別れを済ませたのち、遂に母が旅立つ日がやってきた。二人はスイスの施設に車で向かう。二人は言葉を交わすこともない。周りの景色だけが後方にと移っていく。施設で、スイスの尊厳死支援団体の責任者による「あなたの人生は幸せでしたか?」という問いに、「人生は人生ですから」と、母は答える。そしてその日のうちに自ら毒薬を服用し、亡くなっていく。息子は強く母を抱きしめる。これらの描写は無機質的描写で進められる。
 この映画のすごいところは、「尊厳死とは」など声高に主張しているものではなく、治療法のない脳腫瘍に冒された一人の年老いた母親の、ありふれたさりげない日常を丹念に映像化することで、末期がんの患者の矜持と諦念をきれいに詩情豊かに描いていることである。
 日本尊厳死協会の岩尾總一郎先生(元厚労相医政局長)は「1981年のリスボン宣言で、尊厳をもって死ぬことは患者の権利であると明記した。この条文が1995年に、患者は人間的な終末期ケアを受ける権利を有し、またできる限り尊厳を保ち、かつ安楽に死を迎えらためのあらゆる可能な助力を与えられる権利を有すると改められた。このころから欧米では医師の助力(自殺ほう助=安楽死)を合法化する運動が盛んになった。従って欧米では尊厳死と言う概念に安楽死が含まれている」のだという。ただ日本の尊厳死運動では「自然死や満足死と同義語で、積極的な方法で死期を早める安楽死とは根本的に異なり、私たちは安楽死に反対である」と語っている。
 のかもしれない