(2)生死を彷徨いながら(2015/08/26)
8月5日の夕方、出水市で医院を開業している弟から、「母が脳出血でセンターに救急搬送された」という電話を受けた。病院の勤務を終えてから、家内と19時3分発の新幹線に乗りこみ出水へと向かった。5階のICUに着くと、すでに兄と弟夫妻、兄の息子がベッドを囲んでいた。母は左手先から点滴をつながれた状態で横になっている。枕元のモニターを見るとバイタルには問題はなさそうである。意識レベルは看護師の呼びかけにわずかに反応して、わかっているのかわからないが返事のようなものをしている。弟に見せてもらったスマートフォンの画像をみると、左前頭頭頂葉に強度の出血がみられ、やや正中線が偏位している。脳外科の主治医によると「ここ一両日が山場でしょう」と宣告されたそうである。
弟の話によると、この日の15時30分ごろに、今年になってからお世話になっている老人ホームの自分の部屋で、車いすから落ちたような格好で倒れているのを発見された。右の額に切傷があり、かなりの出血量だったという。意識のある時の最後の言葉が「ようこ、ひさまつさん」だったということで、最後のころに身の回りの世話をした姉と家政婦さんの名前を呼んだそうである。10年ほど前の脳梗塞以来、再発予防の目的でバイアスピリンを服用しており、脳出血を起こしたので転倒した可能性が高いかもしれない。
回復のかなわない状況であることはよく理解できていたので、医師としての立場からも冷静に受け止めることはできた。それでも兄弟それぞれ日常の仕事の予定などとも折り合いをつけながら、不謹慎なこととは思いながらも亡くなってからの段取りなどを話し合い、仕事と並行してその日を待とうということになった。
その夜はしばらく様子を見守ったのち、再び新幹線で自宅に戻った。7日の夕方再び枕元に行くと、体を動かすことはなくなり、深昏睡となり静かに横になっている。明日が土曜日だったので、その夜はベッドの横のソファーで一夜を過ごしたが、時折呼吸が弱くなるもののバイタルは落ち着いていた。8日の朝、いったん家に帰り、9日に再び出水往復となったが、状態に大きな変化はなかった。10日には弟から、呼吸状態も安定してきており、長期戦になるかも知れないとの連絡を受けた。ところが11日になって、脳ヘルニアの症状は軽くなったが、クレアチニンが上昇し呼吸数も増加して、少しずつ全身状態が悪化し始めたという主治医の話を聞いた。12日の夕方になると、尿も出るようになり、また呼吸や心拍も安定してきた。今後輸液量や胃瘻など、栄養補給をどうするかがあらたな難しい問題になりそうになった。現代の医療では、胃瘻などで栄養補給をすると脳死のまま数年間、生命が保たれている事例も多い。また、長期になると、療養介護施設では入院の条件として胃瘻の造設を望まれるという話をよく耳にしている。
13日の夕方、弟からチェーンストークス呼吸になったとの連絡、「おい(私)が盆休みになるのを待っていたのかも」との弁である。14日になるとバイタルは比較的安定していたが、15日には朝方呼吸状態が再び悪化して頻呼吸となり、手足が浮腫状になっている。
お盆は無事乗り越えたので、17日はJR九州のアクティブ65(3日間、九州管内のJRを乗り放題)を利用して夕方出水に出かけた。朝とは違ってバイタルは落ち着いており、やはり次のこと(栄養補給法)を考えなければならなくなるかも知れないと思いながら、帰りの新幹線に乗りこんだ。
結果的にはこの夜が、母との最後の別れとなったのである。
弟の話によると、この日の15時30分ごろに、今年になってからお世話になっている老人ホームの自分の部屋で、車いすから落ちたような格好で倒れているのを発見された。右の額に切傷があり、かなりの出血量だったという。意識のある時の最後の言葉が「ようこ、ひさまつさん」だったということで、最後のころに身の回りの世話をした姉と家政婦さんの名前を呼んだそうである。10年ほど前の脳梗塞以来、再発予防の目的でバイアスピリンを服用しており、脳出血を起こしたので転倒した可能性が高いかもしれない。
回復のかなわない状況であることはよく理解できていたので、医師としての立場からも冷静に受け止めることはできた。それでも兄弟それぞれ日常の仕事の予定などとも折り合いをつけながら、不謹慎なこととは思いながらも亡くなってからの段取りなどを話し合い、仕事と並行してその日を待とうということになった。
その夜はしばらく様子を見守ったのち、再び新幹線で自宅に戻った。7日の夕方再び枕元に行くと、体を動かすことはなくなり、深昏睡となり静かに横になっている。明日が土曜日だったので、その夜はベッドの横のソファーで一夜を過ごしたが、時折呼吸が弱くなるもののバイタルは落ち着いていた。8日の朝、いったん家に帰り、9日に再び出水往復となったが、状態に大きな変化はなかった。10日には弟から、呼吸状態も安定してきており、長期戦になるかも知れないとの連絡を受けた。ところが11日になって、脳ヘルニアの症状は軽くなったが、クレアチニンが上昇し呼吸数も増加して、少しずつ全身状態が悪化し始めたという主治医の話を聞いた。12日の夕方になると、尿も出るようになり、また呼吸や心拍も安定してきた。今後輸液量や胃瘻など、栄養補給をどうするかがあらたな難しい問題になりそうになった。現代の医療では、胃瘻などで栄養補給をすると脳死のまま数年間、生命が保たれている事例も多い。また、長期になると、療養介護施設では入院の条件として胃瘻の造設を望まれるという話をよく耳にしている。
13日の夕方、弟からチェーンストークス呼吸になったとの連絡、「おい(私)が盆休みになるのを待っていたのかも」との弁である。14日になるとバイタルは比較的安定していたが、15日には朝方呼吸状態が再び悪化して頻呼吸となり、手足が浮腫状になっている。
お盆は無事乗り越えたので、17日はJR九州のアクティブ65(3日間、九州管内のJRを乗り放題)を利用して夕方出水に出かけた。朝とは違ってバイタルは落ち着いており、やはり次のこと(栄養補給法)を考えなければならなくなるかも知れないと思いながら、帰りの新幹線に乗りこんだ。
結果的にはこの夜が、母との最後の別れとなったのである。
