こころ穏やかな生き方(後)(2015/08/19)
吉沢は続ける。
「ひとは年をとるし、別れは誰にでもくるものです」。「穏やかに生きるコツは、ないものねだりをしないことです。いくら老いを嘆いたって若いころには戻れません。『昔はあれもできた、これもできた』と同じようにやろうとすれば、ストレスになってしまいます。変化を受け入れて欲張らないこと、身の回りの物は少なくていいし、家だってあんまり広いとお掃除するだけでくたびれちゃうから狭くていい」。「あとは、悩んでも仕方ないことはくよくよ考え込まないことでしょうか」。
吉沢のいわれる「ないものねだりをしない」ことと「身の回りの物を少なくする」はその通りだと思うのだが、私は後者がなかなか思い通りに進まないでため込んでいる。
次に、木村孝さんは1920年京都生まれ(染屋の長女)の染織研究家、随筆家である。
「父は仕事だけでなく、経験によって心得ておきたいさまざまなことを教えてくれました。知人や友人が多くなっていく私に、気を付けるようにと言い、『一友が増えると一憂が増える』と教えられました」。
「・・・やはり心穏やかではいられません。言い返したい気持ちも出てきます。しかしそこはぐっとこらえるのです。思ったことをすぐ口に出さず、その場は一呼吸おいて、やり過ごします。私の場合、昔からノートに思いの丈を綴っていました。一人静かにノートに向き合っていると、次第に心が落ち着いてきて、冷静にその時を振り返ることができます」。
「能の世阿弥の『離見の見(りけんのけん)』という言葉があります。舞台で舞っている自分の姿を、魂だけ外に出て客観的に見てみなさい、ということです。生き方を反省する大切な言葉です」
さてこの『離見の見』についてここで少し説明を加えることにする。500年前に世阿弥が著した「花伝書」の中に次のような一節がある。
役者にむけてのアドバイスで、役者は、「我見」「離見」「離見の見」の3つの視点を意識することが大切である。「我見」とは舞台からお客様を見る目。しっかりみないといけない。「離見」とは、お客様から自分を見る目。お客様視点である。最後の「離見の見」とは、それら全体を俯瞰して見ること。この3つがあってこそ、よい演技ができるというものである。
そして木村さんは「ノートに思いを書き綴ることは、日常生活でできる『離見の見』かもしれません。今日でも、愚痴を言いたくなるとき、ノートと鉛筆が私を慰めてくれます」と。
私の経験でも、気持ちが乱れた時にはなにがしかの文章を連ねていくと、不思議と心が穏やかになることがある。自分を客観視できるという意味では、「離見の見」が自然とできていくのかも知れない。
「ひとは年をとるし、別れは誰にでもくるものです」。「穏やかに生きるコツは、ないものねだりをしないことです。いくら老いを嘆いたって若いころには戻れません。『昔はあれもできた、これもできた』と同じようにやろうとすれば、ストレスになってしまいます。変化を受け入れて欲張らないこと、身の回りの物は少なくていいし、家だってあんまり広いとお掃除するだけでくたびれちゃうから狭くていい」。「あとは、悩んでも仕方ないことはくよくよ考え込まないことでしょうか」。
吉沢のいわれる「ないものねだりをしない」ことと「身の回りの物を少なくする」はその通りだと思うのだが、私は後者がなかなか思い通りに進まないでため込んでいる。
次に、木村孝さんは1920年京都生まれ(染屋の長女)の染織研究家、随筆家である。
「父は仕事だけでなく、経験によって心得ておきたいさまざまなことを教えてくれました。知人や友人が多くなっていく私に、気を付けるようにと言い、『一友が増えると一憂が増える』と教えられました」。
「・・・やはり心穏やかではいられません。言い返したい気持ちも出てきます。しかしそこはぐっとこらえるのです。思ったことをすぐ口に出さず、その場は一呼吸おいて、やり過ごします。私の場合、昔からノートに思いの丈を綴っていました。一人静かにノートに向き合っていると、次第に心が落ち着いてきて、冷静にその時を振り返ることができます」。
「能の世阿弥の『離見の見(りけんのけん)』という言葉があります。舞台で舞っている自分の姿を、魂だけ外に出て客観的に見てみなさい、ということです。生き方を反省する大切な言葉です」
さてこの『離見の見』についてここで少し説明を加えることにする。500年前に世阿弥が著した「花伝書」の中に次のような一節がある。
役者にむけてのアドバイスで、役者は、「我見」「離見」「離見の見」の3つの視点を意識することが大切である。「我見」とは舞台からお客様を見る目。しっかりみないといけない。「離見」とは、お客様から自分を見る目。お客様視点である。最後の「離見の見」とは、それら全体を俯瞰して見ること。この3つがあってこそ、よい演技ができるというものである。
そして木村さんは「ノートに思いを書き綴ることは、日常生活でできる『離見の見』かもしれません。今日でも、愚痴を言いたくなるとき、ノートと鉛筆が私を慰めてくれます」と。
私の経験でも、気持ちが乱れた時にはなにがしかの文章を連ねていくと、不思議と心が穏やかになることがある。自分を客観視できるという意味では、「離見の見」が自然とできていくのかも知れない。