公約を果たした最期(2015/08/13)
「さつまあげ」と共に、次のような手紙が添えられていた。
暑中お見舞い申し上げます。厳しい暑さが続き、五年前の暑さを思い出します。今夏も西瓜をお送りしようと思っていましたが、梅雨の長雨のせいか不作とのことで、今回はさつまあげを送らせていただきます。・・・それから私ごとですが、同人誌で巻頭をいただくことができました。先生にも見ていただけるとうれしいです。
もう5年が経ったのかと改めて思い出すのだが、南九州病院で私が長年診てきていたご両親の娘さん(永田まりりん)からのお便りである。そういえばお父さんも、菜園で獲れた野菜だといって、よく持って来てくれていた。
当時のことを南日本新聞に掲載してもらったことがある。
公約を果たした最期
超高齢社会となり、配偶者の一方が亡くなると、残された人も後を追うようにして亡くなることが多くなっている。
10年以上にわたってパーキンソン病の奥さんを、在宅で懸命に介護していたご主人がいた。奥さんが肺炎などで、時々私たちの病院に入院していたが、最期はあるグループホームで亡くなった。ご主人は83歳だったが、年齢を感じさせないほど元気なひとだった。ところが、急に意識障害になり、奥さんが亡くなった翌日に病院で息を引き取った。一日置かずに、相次いで亡くなられたわけである。
通夜に伺うと神式の祭壇の前に、二人の遺体が仲良く並べられていた。顔にかぶせられた白いガーゼをとって、一人ずつ顔をのぞき込むと、本当に安らかでなにも憂いのない、穏やかな表情をしていた。
後で息子さんに確かめたところ、1999年から私の外来に通っていたということだから、奥さんが66歳の時からになる。いつ来られても、人柄のよさそうなご主人に伴われて幸せそうに見えた。ご主人は40年ほど営林署に勤めておられたということで、老いてもすこぶる元気で、庭野菜を育てて病院まで持ってきてくれたこともあった。
焼香を済ませたのち、息子さんや亡くなられた奥さんのお兄さんという人と話をした。「本当に、人もうらやむような仲のいい夫婦で、いつも一緒でした。あの世まで一緒に逝けたわけで、これ以上の幸せはないのではないですか」と80歳だという兄さんは言った。
「悔いがないと言えば嘘になりますが、父はちゃんと公約を果たしたのだと思います。病気の母を一人にするわけにはいかないと、いつも言っていましたので」。東京から駆けつけたばかりの息子さんは、涙をふきながら静かに語ってくれた。
「公約」とは気のきいた表現だなと思いながら、「きっといろいろと後悔の念もあるかと思いますが、ご両親は精いっぱい生きて来られましたし、これ以上のいい旅立ちはないのではないでしょうか」と、適切な慰めの言葉も思いつかないまま話すことだった。
二人の死からもう随分経ってしまったが、あらためてご冥福をお祈りしたい。
鹿児島県では、必死に村を支えてきたお年寄りが次々に亡くなったり、また都市部に住んでいる子どもたちに引き取られていく。いわゆる「限界集落」の増加が加速している。また、この夫婦のように、二人きりの生活で一方が病気で、もう一方の元気な配偶者が懸命に介護している場合も多い。介護者も病気になってしまい、先行きの見えない困惑のケースも増えている。
今後もとどまることなく歩みを速めていく日本の超高齢社会。誰もが心配しなくても済むような老後のシナリオを早く描かなくてはならないのに、政治家の「公約」は守られないままである。(終)
さて永田さんが属している「天日」という俳句誌に掲載された「遺されしもの」の一部を紹介したい。父への思いが深いところでつながっており、心が通じ合っていたことがよくわかる文である。このような娘を持てた父親は幸せであると思う。
両親があの世に旅立ったのは暑い夏だった。母を介護していた父に異変が起こり入院。すると、それまでデイケアに通っていた母も急に具合が悪くなった。母が先に逝き、父も後を追うように逝った。春には遠出して桜も愛でたのに、その数か月後に永遠の別れがくるなんて・・・。あれから五年目を迎える。
向日葵を祭壇の中央に置き
成功する人は努力するからだ。努力する人は志があるからだ。志のある人は人間は必ず死ぬということを知っているからだ。志のない人は人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない。その差だ。
道元の言葉だという。人は必ず死ぬ、私はそのことを本当の意味で知らなかったのだ。
生前、父は庭の手入れや菜園をこまめにやっていた。今年も躑躅(つつじ)のピンクや赤で、庭が明るく包まれた。そして紫陽花が雨に濡れている。父のようにはいかないが菜園も何とか続け、今は胡瓜やトマト、ピーマンが食卓に並び始めた。暑い時期は草むしりや水撒きを大変に思うこともあるが、庭にいる時間が穏やかに流れ、清々しさを覚える。父も同じように感じていたのだろうか。
桜の季節になると、来年はどうだろうと考えるようになった。同時にそれまでよりも美しく、愛おしく感じるようになり、十分に楽しもうと思うようになった。桜だけではない。菜の花も今年は一段と眩しく感じられた。
川の辺に続く菜の花 生家あり
今回、巻頭をいただき、両親もとても喜んでいることだろう。これからも、父と母が遺してくれたものを大切に「今」を生き、句作に励んでゆきたい。
暑中お見舞い申し上げます。厳しい暑さが続き、五年前の暑さを思い出します。今夏も西瓜をお送りしようと思っていましたが、梅雨の長雨のせいか不作とのことで、今回はさつまあげを送らせていただきます。・・・それから私ごとですが、同人誌で巻頭をいただくことができました。先生にも見ていただけるとうれしいです。
もう5年が経ったのかと改めて思い出すのだが、南九州病院で私が長年診てきていたご両親の娘さん(永田まりりん)からのお便りである。そういえばお父さんも、菜園で獲れた野菜だといって、よく持って来てくれていた。
当時のことを南日本新聞に掲載してもらったことがある。
公約を果たした最期
超高齢社会となり、配偶者の一方が亡くなると、残された人も後を追うようにして亡くなることが多くなっている。
10年以上にわたってパーキンソン病の奥さんを、在宅で懸命に介護していたご主人がいた。奥さんが肺炎などで、時々私たちの病院に入院していたが、最期はあるグループホームで亡くなった。ご主人は83歳だったが、年齢を感じさせないほど元気なひとだった。ところが、急に意識障害になり、奥さんが亡くなった翌日に病院で息を引き取った。一日置かずに、相次いで亡くなられたわけである。
通夜に伺うと神式の祭壇の前に、二人の遺体が仲良く並べられていた。顔にかぶせられた白いガーゼをとって、一人ずつ顔をのぞき込むと、本当に安らかでなにも憂いのない、穏やかな表情をしていた。
後で息子さんに確かめたところ、1999年から私の外来に通っていたということだから、奥さんが66歳の時からになる。いつ来られても、人柄のよさそうなご主人に伴われて幸せそうに見えた。ご主人は40年ほど営林署に勤めておられたということで、老いてもすこぶる元気で、庭野菜を育てて病院まで持ってきてくれたこともあった。
焼香を済ませたのち、息子さんや亡くなられた奥さんのお兄さんという人と話をした。「本当に、人もうらやむような仲のいい夫婦で、いつも一緒でした。あの世まで一緒に逝けたわけで、これ以上の幸せはないのではないですか」と80歳だという兄さんは言った。
「悔いがないと言えば嘘になりますが、父はちゃんと公約を果たしたのだと思います。病気の母を一人にするわけにはいかないと、いつも言っていましたので」。東京から駆けつけたばかりの息子さんは、涙をふきながら静かに語ってくれた。
「公約」とは気のきいた表現だなと思いながら、「きっといろいろと後悔の念もあるかと思いますが、ご両親は精いっぱい生きて来られましたし、これ以上のいい旅立ちはないのではないでしょうか」と、適切な慰めの言葉も思いつかないまま話すことだった。
二人の死からもう随分経ってしまったが、あらためてご冥福をお祈りしたい。
鹿児島県では、必死に村を支えてきたお年寄りが次々に亡くなったり、また都市部に住んでいる子どもたちに引き取られていく。いわゆる「限界集落」の増加が加速している。また、この夫婦のように、二人きりの生活で一方が病気で、もう一方の元気な配偶者が懸命に介護している場合も多い。介護者も病気になってしまい、先行きの見えない困惑のケースも増えている。
今後もとどまることなく歩みを速めていく日本の超高齢社会。誰もが心配しなくても済むような老後のシナリオを早く描かなくてはならないのに、政治家の「公約」は守られないままである。(終)
さて永田さんが属している「天日」という俳句誌に掲載された「遺されしもの」の一部を紹介したい。父への思いが深いところでつながっており、心が通じ合っていたことがよくわかる文である。このような娘を持てた父親は幸せであると思う。
両親があの世に旅立ったのは暑い夏だった。母を介護していた父に異変が起こり入院。すると、それまでデイケアに通っていた母も急に具合が悪くなった。母が先に逝き、父も後を追うように逝った。春には遠出して桜も愛でたのに、その数か月後に永遠の別れがくるなんて・・・。あれから五年目を迎える。
向日葵を祭壇の中央に置き
成功する人は努力するからだ。努力する人は志があるからだ。志のある人は人間は必ず死ぬということを知っているからだ。志のない人は人間が必ず死ぬということを本当の意味で知らない。その差だ。
道元の言葉だという。人は必ず死ぬ、私はそのことを本当の意味で知らなかったのだ。
生前、父は庭の手入れや菜園をこまめにやっていた。今年も躑躅(つつじ)のピンクや赤で、庭が明るく包まれた。そして紫陽花が雨に濡れている。父のようにはいかないが菜園も何とか続け、今は胡瓜やトマト、ピーマンが食卓に並び始めた。暑い時期は草むしりや水撒きを大変に思うこともあるが、庭にいる時間が穏やかに流れ、清々しさを覚える。父も同じように感じていたのだろうか。
桜の季節になると、来年はどうだろうと考えるようになった。同時にそれまでよりも美しく、愛おしく感じるようになり、十分に楽しもうと思うようになった。桜だけではない。菜の花も今年は一段と眩しく感じられた。
川の辺に続く菜の花 生家あり
今回、巻頭をいただき、両親もとても喜んでいることだろう。これからも、父と母が遺してくれたものを大切に「今」を生き、句作に励んでゆきたい。
