Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

三屋清左衛門残日録(前)(2015/08/03) 

早いもので藤沢周平が亡くなって18年が経つ。私にとっては人生でもっとも「はまった小説家」の一人で、その作品のほとんどは発刊されるとすぐ書店に走って買って読んだものである。家移りのときに多くの本は捨ててきたが、藤沢の本は捨てるのが惜しくて今でも手元に置いている。
 幕末に日本を訪れた西洋人が、日本人の識字率の高さに驚いたことを記している。NHK eテレ7月の「100分de名著」では小泉八雲を取り上げていたが、彼も同じような印象を持ったということだった。その要因の一つが江戸時代には全国各地に寺子屋があり、そこで先生の役割を果たしたのが隠居した武士であったということである。そのような隠遁生活の日常を描いた藤沢作品に「三屋清左衛門残日録」というものがあったことを思い出して、読み返してみた。この本はかって何度か読んだことがあったが、南九州病院を「定年後」に読んだのは今回が初めてである。小説を読むときには自分の感情を移入して読むことが多いので、読む年齢によって感慨も異なってくることに気づく。
 私は幸いにも「定年後」も職を得て、いわゆる現役時代と変わらない生活が続けられている。本当にありがたいことだと思っている。しかし多くの人にとっては、第二の人生をどのように生きるか、避けては通れない問題となる。この問題を藤沢は、江戸時代の隠居武士の清左衛門に託してさまざまな角度から描いている。
 ・・・勤めていたころは、朝目ざめたときにはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝ざめの床の中で、まずその日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。
 ・・・清左衛門自身は世間と、これまでにくらべて比べてややひかえめながらまだまだ対等につき合うつもりでいたのに、世間の方が突然に清左衛門を隔ててしまったようだった。多忙で気骨の折れる勤めの日日。ついこの間まで身を置いていたその場所が、いまはまるで別世界のように遠く思われた。
 ・・・「お日記でございますか」「うむ、ぼんやりしておっても仕方がないからの。日記でも書こうと思い立った」「でも残日録というのはいかがなものでしょうね」
 里江(出過ぎることなく細やかな気配りのできる嫁。清左衛門の身を何かと気遣う)にははなれた机の上においた日記の文字が読めるらしかった。里江は眼に舅の機嫌をとるような微笑を浮かべている。「いま少しにぎやかなお名前でもよかったのではと思いますが」「なに、心配はない」と清左衛門は言った。「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シの意味でな。残る日を数えようというわけではない」(『醜女』の章から)。