井形先生を囲む会(中)(2015/09/15)
15時のチェックインの時間まで一時間ほどあったので、道後公園の横にある子規記念博物館に行ってみることにした。入場者はほとんどいなかったが、この博物館は子規に係わる全資料を展示してあるのみでなく、古代から中世、そして江戸、明治時代の松山の歴史や文化についても展示してある。子規のみならず友人の漱石、河東碧梧桐、高浜虚子、伊藤左千夫、長塚節など錚々たる文人を輩出できたのは、江戸時代の松山藩の藩主、松平家が俳諧や書道、絵画や能楽など文芸を大事にしていたことにあるようである。文化は一朝一夕にしてなるものではなく、長い時間の素地があってはじめて開花するものだと思う。最近文科省は大学の教養課程を不要なものと考えたり、文科系学部の削減を進めているが、「窮すれば鈍する」のことわざを引用するまでもなく、理科系とのバランスがうまく融合しなければ科学的ないい成果は出せないのではないだろうか。
さて「井形先生を囲む会」は18時に始まる予定だったので、17時過ぎに「にぎたつ会館」を出て散歩がてら道後温泉界隈を歩いてみることにした。会館のすぐ横に、伊佐爾波(いさにわ)神社というものがあり、急傾斜の石段を何十段も息を切らしながら昇り参拝した。当初、私はこの神社を読み方が一緒で、あの道後温泉をここまでの観光地にした伊佐庭如矢を祀っているのだろうと大きな誤解をしていた。
伊佐庭はかってNHKテレビの「知恵泉」で取り上げられたことがあったが、農村の中の寂しい湯治場に過ぎなかったその地を、明治23年に地元の町長となり、激しい反対運動にもめげずに、たった1500人の町でなんと現在の金額にして27億円をかけて道後温泉本館を改築したのである。観光で町おこしをするという発想がまったくなかった時代に、先見の明があったのである。
その後、宝厳寺(一遍上人生誕地)を訪ねたのち、鷺谷墓地に足を延ばした。ここには日露戦争で活躍した秋山兄弟の兄、秋古が眠っている。比較的小さな墓で仰々しくないところが好ましい。秋山兄弟は子規との交友でも有名で、明治初期に勇躍の志を抱いて松山から東京に移り住んでいる。
17時30分過ぎに大和屋本館に着いたが、ちょっと早すぎたのか会場には今回の囲む会の幹事である野元先生だけだった。襖を開けると能舞台が設置されており、素晴らしい部屋である。三々五々、人が集まってきて18時前には囲む会に参加する36人(井形先生の二人のお子さんも含めて)が参加していた。
18時ちょっと過ぎに、井形先生のいつものような短く要領を得た挨拶と乾杯で始まった。先生は現在86歳であるが、名古屋学芸大学の現役の学長として、年齢を全く感じさせないお仕事ぶりである。年齢的なことで弱気になったときにはいつも、井形先生の頑張りが支えになっている。事前に配布された資料の中に、朝日新聞の地方版(愛知県)の抜粋「愛知に人あり」が挟み込まれていた。その中で、国立長寿医療センターの遠藤先生が「一番の恩師、井形先生」というタイトルで、介護保険制度の創設のころに言われた言葉を紹介している。
走りながら考えろ。考えながら走れ。とにかく一歩ふみださないと何も始まらない。
そして遠藤先生は井形先生を「知的レベルも高く、どんな困難も笑いながら解決する人間として大きな人」と評し、「その偉大な経歴に反して、おごらず、威張らない。だれにでも平等で、より高度な経験や知識、そして人脈をつくるチャンスを与えていく組織のリーダーの凄さを知った」と話されているが、私たち弟子の井形先生に抱くみんなの気持ちを代弁している言葉である。
さて「井形先生を囲む会」は18時に始まる予定だったので、17時過ぎに「にぎたつ会館」を出て散歩がてら道後温泉界隈を歩いてみることにした。会館のすぐ横に、伊佐爾波(いさにわ)神社というものがあり、急傾斜の石段を何十段も息を切らしながら昇り参拝した。当初、私はこの神社を読み方が一緒で、あの道後温泉をここまでの観光地にした伊佐庭如矢を祀っているのだろうと大きな誤解をしていた。
伊佐庭はかってNHKテレビの「知恵泉」で取り上げられたことがあったが、農村の中の寂しい湯治場に過ぎなかったその地を、明治23年に地元の町長となり、激しい反対運動にもめげずに、たった1500人の町でなんと現在の金額にして27億円をかけて道後温泉本館を改築したのである。観光で町おこしをするという発想がまったくなかった時代に、先見の明があったのである。
その後、宝厳寺(一遍上人生誕地)を訪ねたのち、鷺谷墓地に足を延ばした。ここには日露戦争で活躍した秋山兄弟の兄、秋古が眠っている。比較的小さな墓で仰々しくないところが好ましい。秋山兄弟は子規との交友でも有名で、明治初期に勇躍の志を抱いて松山から東京に移り住んでいる。
17時30分過ぎに大和屋本館に着いたが、ちょっと早すぎたのか会場には今回の囲む会の幹事である野元先生だけだった。襖を開けると能舞台が設置されており、素晴らしい部屋である。三々五々、人が集まってきて18時前には囲む会に参加する36人(井形先生の二人のお子さんも含めて)が参加していた。
18時ちょっと過ぎに、井形先生のいつものような短く要領を得た挨拶と乾杯で始まった。先生は現在86歳であるが、名古屋学芸大学の現役の学長として、年齢を全く感じさせないお仕事ぶりである。年齢的なことで弱気になったときにはいつも、井形先生の頑張りが支えになっている。事前に配布された資料の中に、朝日新聞の地方版(愛知県)の抜粋「愛知に人あり」が挟み込まれていた。その中で、国立長寿医療センターの遠藤先生が「一番の恩師、井形先生」というタイトルで、介護保険制度の創設のころに言われた言葉を紹介している。
走りながら考えろ。考えながら走れ。とにかく一歩ふみださないと何も始まらない。
そして遠藤先生は井形先生を「知的レベルも高く、どんな困難も笑いながら解決する人間として大きな人」と評し、「その偉大な経歴に反して、おごらず、威張らない。だれにでも平等で、より高度な経験や知識、そして人脈をつくるチャンスを与えていく組織のリーダーの凄さを知った」と話されているが、私たち弟子の井形先生に抱くみんなの気持ちを代弁している言葉である。
