小学生にお話することに(後)(2015/09/10)
8時15分ごろ、姉と、姉が泊まっていた家のハヤコ(私より一つ年下だったかと思う)も「一緒について行ってもいい?」というので、「卒業生だし、まあいいだろう」と3人で出発した。この頃になると雨はすっかりあがっていて、10分ほどで小学校についた。早速、校長室に通され、東校長先生(女性)と初めてお会いした。
先生は上甑島のご出身で、頴娃町の小学校に赴任されるのは2回目だという。数年前に頴娃町の別の小学校で働いていたとき、「先生が南日本新聞に寄稿されていて、頴娃町生まれという部分が頭に残っていました。今回、こんな形でお会いできるなんて信じられません・・・」と言われる。「先生から頂いたご本を読んで、30年ほど前に大口の小学校にいたころに、学校は違ったけど小学生の子どもを含めて親子3人で、病気のお父さんの胸押しを続けている患者さんが先生が診ておられた人だったんだと合点がいって、これにもびっくりしました」と話される。
しばらく歓談した後、教室の脇の廊下を歩いて視聴覚室に向かった。そこには大型テレビが用意されており、パソコンのスライドを難なく取り込むことができた。部屋には全校生徒14人(二人は、インフルエンザで休んでいるという)と先生方が集まり、ミニ「講演」を始めることになった。タイトルは「四季とりどりの花も咲く(校歌の一節を借用)」松原小学校の思い出」として、紙芝居風に風景など映しながら話すことにした。
まず、「小学生にお話しする機会は少ないので、いささか緊張しております。家内に話しますと、『小さいころに聞いた話は、意外によく覚えているもんだよ』と言うことでしたので、少しでも今後の人生に役に立てればと願っています。みなさんの将来はやる気次第で無限大に可能性はひろがります」というようなことを、神妙な言葉でできるだけ平易な表現で話すことから始めた。そして「この松原小学校は、日本のどこよりも風光明美な場所に建っているのではないでしょうか・・・」と「よいしょ」もしたが、本当にこの学校の立地条件は最高だと思う。
20分ほど話したのち一応の終わりとして、先生が「何か質問はありませんか」と尋ねた。びっくりすることに、4年生以上の4人ほどが手を挙げた。最初の質問は「校歌を覚えていますか」というものだったが、松原小学校の校歌ができたのは昭和33年6月で、私が原良小学校に転校した年にあたる。「そんなわけで、知りませんので、後でみんなで歌ってください」と言うと、約束通りに最後にみんなで元気な声で斉唱してくれた。そして「先生のころは生徒は何人くらいでしたか」という質問で、「そうだなあ、一学年が30人ちょっとでしたので、全校生徒が200人近くはいたのではないかな」。あとは「南風病院の一日の外来患者数とか、筋ジストロフィーの患者さんはかわいそうですか」などと言ったような難しい質問もあった。それにしても、ものおじすることなく挙手してきちんと質問することができるのは、少数学級によるものかと思う。生徒数16人に先生が8人と贅沢な学校で、病院でいえば7:1の看護基準に等しく先生とマンツーマンに近い。そのため先生の眼が届きやすく、いつも自分が主役であるので自立心が育くまれるのではないかと思うことだった。
最後に校長先生の提案で、緑の芝生の運動場に出て集合写真を撮った。見返してみると、一人一人が本当にいい顔をしている。
先生は上甑島のご出身で、頴娃町の小学校に赴任されるのは2回目だという。数年前に頴娃町の別の小学校で働いていたとき、「先生が南日本新聞に寄稿されていて、頴娃町生まれという部分が頭に残っていました。今回、こんな形でお会いできるなんて信じられません・・・」と言われる。「先生から頂いたご本を読んで、30年ほど前に大口の小学校にいたころに、学校は違ったけど小学生の子どもを含めて親子3人で、病気のお父さんの胸押しを続けている患者さんが先生が診ておられた人だったんだと合点がいって、これにもびっくりしました」と話される。
しばらく歓談した後、教室の脇の廊下を歩いて視聴覚室に向かった。そこには大型テレビが用意されており、パソコンのスライドを難なく取り込むことができた。部屋には全校生徒14人(二人は、インフルエンザで休んでいるという)と先生方が集まり、ミニ「講演」を始めることになった。タイトルは「四季とりどりの花も咲く(校歌の一節を借用)」松原小学校の思い出」として、紙芝居風に風景など映しながら話すことにした。
まず、「小学生にお話しする機会は少ないので、いささか緊張しております。家内に話しますと、『小さいころに聞いた話は、意外によく覚えているもんだよ』と言うことでしたので、少しでも今後の人生に役に立てればと願っています。みなさんの将来はやる気次第で無限大に可能性はひろがります」というようなことを、神妙な言葉でできるだけ平易な表現で話すことから始めた。そして「この松原小学校は、日本のどこよりも風光明美な場所に建っているのではないでしょうか・・・」と「よいしょ」もしたが、本当にこの学校の立地条件は最高だと思う。
20分ほど話したのち一応の終わりとして、先生が「何か質問はありませんか」と尋ねた。びっくりすることに、4年生以上の4人ほどが手を挙げた。最初の質問は「校歌を覚えていますか」というものだったが、松原小学校の校歌ができたのは昭和33年6月で、私が原良小学校に転校した年にあたる。「そんなわけで、知りませんので、後でみんなで歌ってください」と言うと、約束通りに最後にみんなで元気な声で斉唱してくれた。そして「先生のころは生徒は何人くらいでしたか」という質問で、「そうだなあ、一学年が30人ちょっとでしたので、全校生徒が200人近くはいたのではないかな」。あとは「南風病院の一日の外来患者数とか、筋ジストロフィーの患者さんはかわいそうですか」などと言ったような難しい質問もあった。それにしても、ものおじすることなく挙手してきちんと質問することができるのは、少数学級によるものかと思う。生徒数16人に先生が8人と贅沢な学校で、病院でいえば7:1の看護基準に等しく先生とマンツーマンに近い。そのため先生の眼が届きやすく、いつも自分が主役であるので自立心が育くまれるのではないかと思うことだった。
最後に校長先生の提案で、緑の芝生の運動場に出て集合写真を撮った。見返してみると、一人一人が本当にいい顔をしている。
