Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

伊佐市社会福祉大会(後)(2015/10/30) 

その後、自己紹介もかねて、2年ほど前にMBCテレビが制作してくれた退官時の特集(DVD)を放映しようと思ったら、動画が動かないのである。自分のパソコンでは動いていたのに、USBで会場に備え付けのパソコンにセットしたのであるが相性が悪いのだろうか(事前にチェックしておくべきだった)。致し方ないので、こだわることなくDVDは諦めて次に進むことにした(講演の中頃にあらかじめ「体操」の時間をとっていたので、この時に担当の人が私のパソコンにセットし直してくれて無事に放映できた。さすがにプロである)。
 医師としてさまざまな死に逝く姿に接したが、その中で三人の筋ジストロフィーの患者さんの生き方から学ばせてもらったことを紹介した。
 一人目は富満君で、天寿とは体の健康(命の長さ)ばかりではないかもしれない、15歳で亡くなっても立派な天寿である、亡くなる寸前までアメリカに行きたいという希望を実現するために英語の勉強をしていたのである。当時、運動会で応援団長などで頑張りすぎて、無理がたたって体調を崩し急逝する子供が多かった。一生懸命頑張った末だけに、なおさら不憫に思ったものである。
 二人目は敏秀君で、35歳で亡くなったが、23歳の時に上梓した「光彩」のなかで、我々が難治性の難病や余命いくばくかのがんの告知を受けた時に、心の不安から平安を得るすべは、その日その日を一生懸命に生きることであると書いている。私もそのように生きたいと思っているが、はたしてできるかどうか自信はない。敏秀君は亡くなるときにも、あたかも旅行にでも出かけるように天国へと旅立った。
 三人目は日高君で昨年、46歳で亡くなった。「百寿者の超越」と似たような意味で、筋ジス患者の「達観」について触れた。最近百寿者が増えており、その研究から多くの百寿者は心身の機能は衰えても、幸福感の高い高齢者は多く、体は衰えても幸福感を保つ「老いのかたち」があるのではないだろうか。そして人は残された時間が短くなると、気持ちを安定させる方向に内的エネルギーを使う。人は虚弱になっていく過程で、辛いことでも楽しい事に目を向けようとする心の変化が起きて、辛い現実を受け入れ適応している。できなくなるのを嘆くのではなく、できなくなるのは自然なこととして受け止めて、できることを楽しむことで、喪失の中で自分らしさを失わずに生きていく(権藤恭之)。 筋ジストロフィーなど難病患者も同様な傾向があり、心の健康な幸福感の高い患者が多かった(達観と表現できるかも知れない)。日高君もまさにその一人であったと考えている。
その後は、健康長寿のためには「がんの早期発見と予防、生活習慣病対策」が重要で、「歩くこと」を自らの体験に基づいて強く推奨した。
最後に、人材の育成と社会貢献についての話題を提供して終わりとなった。
講演会の後、市長の心遣いで、下小園さん、蓑田さん、田ノ上さんが控室に集まってくれて「昔話」に花が咲いた。蓑田君のお母さんは9年間、大口から南九州病院まで毎日通い続けた。また一緒に働いた看護師さん、とりわけ稲元師長の凄さを懐かしみながら話していた。30年以上前の出来事からであるが、あの世があるとすれば、ラインを使って故人とも話したいところである。
 翌日、隈元市長から、以下のようなメールを頂いた。ちょっと褒めすぎである。それにしても、主催者の職員の方々の、気持ちのよくあらわれる配慮の行き届いた大会だと思った。
先生が毎日配信なさる院内メールを私にも送信していただいている。1時間半のご講演のひとつひとつが思い当たることだったので、思い出しながら再確認の意味でも有意義なご講演であった。一般聴衆の方々もわかりやすく、時にユーモアを交え、真面目な中にテゲテゲな適度のいい加減さが垣間見えるので、聴衆の関心が他に行かない求心力にもなっていた。「人間には弱さがないとダメだ」とか「心配せんでもよい、きっとよいようになる」、「不安から逃れるすべは、その日その日を一所懸命に生きること」とか、私たちが落ち込んだ時の励ましにもなる。土日のこのようなイベントに職員も仕事の枠や範囲を越えて参加することが、自分のためになることを知ってほしいと感じた二つの大会だった。