コスモス(2015/11/02)
月日の過ぎ去るのは早くて、コスモスの季節も終わってしまった。数年前までは生駒高原で周り一帯を埋め尽くすような色とりどりのコスモスに見ほれたものだが、だんだんと時間的な余裕がなくなっていく。
コスモスといえば、日高君は何枚かコスモスをCGで描いていた。私がベッドサイドに訪問客を案内したときには、まず彼が選んでみせたのは「秋景色」だった。彼の優しい心遣いがうれしくて、ひそかに感謝したものである。
実はこの絵のもとになった写真は私が撮ったもので、10年ほど前に恒例の轟木敏秀追悼登山の帰り道、霧島神宮から丸尾に行く道路沿いの景色である。刈り取られた田んぼや架け乾しの稲穂、あぜ道に咲く色とりどりのコスモス、そして遠景は霧島連山と日本の原風景そのもので、思わずシャッターを切ったのである。日高君はかねがね敏秀を先輩として尊敬しており、彼がこのCGを描くときに使っていた入力装置は畠山さんが作ってくれたもので、敏秀からの遺品でもあった。
追悼登山といえば、敏秀の亡くなった年の平成10年から毎年、彼の遺言に従い散骨した新燃岳に登っていた。ところが思いもかけない噴火で登れなくなり開聞岳に変更したり、昨年は日高君の実家と佐多岬を訪ねることにした。
今年はみんなの折り合いがつかずに、岡本さんだけがえびの市にある真幸寺の敏秀君のお墓にビールを供えてくれた。岡本さんのメールでは「来年は(いつも言ってるけど実現しないが),みんなでミヤマキリシマの美しい春か初夏に,高千穂の峰に登りましょうか」とある。是非とも来年は実現させたい。
休日に待つ人もなし パソコンに真向ひ描く コスモスの花(日高君の「花のちから」から)

コスモスといえば、日高君は何枚かコスモスをCGで描いていた。私がベッドサイドに訪問客を案内したときには、まず彼が選んでみせたのは「秋景色」だった。彼の優しい心遣いがうれしくて、ひそかに感謝したものである。
実はこの絵のもとになった写真は私が撮ったもので、10年ほど前に恒例の轟木敏秀追悼登山の帰り道、霧島神宮から丸尾に行く道路沿いの景色である。刈り取られた田んぼや架け乾しの稲穂、あぜ道に咲く色とりどりのコスモス、そして遠景は霧島連山と日本の原風景そのもので、思わずシャッターを切ったのである。日高君はかねがね敏秀を先輩として尊敬しており、彼がこのCGを描くときに使っていた入力装置は畠山さんが作ってくれたもので、敏秀からの遺品でもあった。
追悼登山といえば、敏秀の亡くなった年の平成10年から毎年、彼の遺言に従い散骨した新燃岳に登っていた。ところが思いもかけない噴火で登れなくなり開聞岳に変更したり、昨年は日高君の実家と佐多岬を訪ねることにした。
今年はみんなの折り合いがつかずに、岡本さんだけがえびの市にある真幸寺の敏秀君のお墓にビールを供えてくれた。岡本さんのメールでは「来年は(いつも言ってるけど実現しないが),みんなでミヤマキリシマの美しい春か初夏に,高千穂の峰に登りましょうか」とある。是非とも来年は実現させたい。
休日に待つ人もなし パソコンに真向ひ描く コスモスの花(日高君の「花のちから」から)

