げんねこちょ知らん(2015/10/16)
今日は「いのちの電話相談員全国研修会」で分科会の講師を頼まれているが、全国から相談員が参加するということなので、まず「げんねこちょ知らん」の説明から始めたいと思っている。
司馬遼太郎が腹部大動脈破裂のために国立大阪病院で亡くなったのは1996年(平成8年)の2月だったので、あれから20年が経つことになる。死後、「司馬遼太郎の世界(文藝春秋社、1996年)」という追悼集が発刊されたが、その中に「司馬さんの思いで」ということで仁尾一三(元新潮社編集者)さんが「げんねこちょ知らんな」という小文を書いておられる。
この方は当時小説新潮の編集者だったが、昭和39年12月に新年号の特集企画として時代小説4本を並べることになり、司馬さんに原稿を依頼した。司馬さんは昭和34年に直木賞を受賞し多忙を極めていた時期で、「いまな、いそがしいからだめやな」と一度は断られた。ところが「ちょっと待ってや。もう一度名前をいうてくれんか」ということで、仁尾というと、「変わった名前やな」という話になり、変わった名前のお陰で原稿をもらえることができて、その後親交を深めることができたという(ちなみに鹿児島でも、仁田尾(のお茶で有名)という苗字は多いが、仁尾という姓は私は初めて聞いた)。
ある時、「西南戦争をテーマに連載をお願いできませんか」という依頼に、「そやな、西郷さんか、うん」ということで、仁尾さんの田舎の鹿児島市を案内することになった。そこで元市長の勝目清さんにお会いしたが、この方は正確な標準語と同時に正統な薩摩言葉の伝承者としても知られた学者である。この時に司馬さんがもっとも興味を持たれたのが、薩摩に古くからある「げんねこちょ知らん」という表現だったという。
薩摩では何事にも晴れがましいことを嫌い、すべてに控えめであることを美徳としてきた。この国では、昭和、平成の世でも、なにかといえば「げんね(恥ずかしい)」と口に出していう。そうでない人間には、「あいつは、恥ずかしさを知らん」(げんねこちょ知らん)という批判が集まることになる。「そうか、今でもこういう言葉が残っとったか」と司馬さんも嬉しそうにうなずいて、その後も何かといえば、「ふふっ、あいつも、げんねこちょ知らんな」と、”司馬流アクセント”でそれは楽しそうに口にしていた(原文は仁尾さん)という。
ところで薩摩では、「げんねこちょ知らん」人以外に、「蔑まれる人」として「やっせんぼ」と「よかぶいごろ(格好ばかり気にする人)」という言葉がある。
「やっせんぼ」は、「あんワロは役(やっ)せんぼじゃ(弱虫)」という言葉も死語となりつつあるが、司馬作品を原作としたNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の最初のシーン、「泣こかい とぼかい 泣こよかひっとべ」の精神で、物事は深く考えずにまず行動することを求められた。ひっとばないと、「やっせんぼ」というわけである。また昔の七高生に代表されるように、バンカラ気質が崇められ、「よかぶいごろ」も嫌われた。
でも鹿児島県人は普通にしていても田舎ぽいわけで、ちょっとは「よかぶらんな」、県外では誰も相手にしてくれないのではないだろうか。
司馬遼太郎が腹部大動脈破裂のために国立大阪病院で亡くなったのは1996年(平成8年)の2月だったので、あれから20年が経つことになる。死後、「司馬遼太郎の世界(文藝春秋社、1996年)」という追悼集が発刊されたが、その中に「司馬さんの思いで」ということで仁尾一三(元新潮社編集者)さんが「げんねこちょ知らんな」という小文を書いておられる。
この方は当時小説新潮の編集者だったが、昭和39年12月に新年号の特集企画として時代小説4本を並べることになり、司馬さんに原稿を依頼した。司馬さんは昭和34年に直木賞を受賞し多忙を極めていた時期で、「いまな、いそがしいからだめやな」と一度は断られた。ところが「ちょっと待ってや。もう一度名前をいうてくれんか」ということで、仁尾というと、「変わった名前やな」という話になり、変わった名前のお陰で原稿をもらえることができて、その後親交を深めることができたという(ちなみに鹿児島でも、仁田尾(のお茶で有名)という苗字は多いが、仁尾という姓は私は初めて聞いた)。
ある時、「西南戦争をテーマに連載をお願いできませんか」という依頼に、「そやな、西郷さんか、うん」ということで、仁尾さんの田舎の鹿児島市を案内することになった。そこで元市長の勝目清さんにお会いしたが、この方は正確な標準語と同時に正統な薩摩言葉の伝承者としても知られた学者である。この時に司馬さんがもっとも興味を持たれたのが、薩摩に古くからある「げんねこちょ知らん」という表現だったという。
薩摩では何事にも晴れがましいことを嫌い、すべてに控えめであることを美徳としてきた。この国では、昭和、平成の世でも、なにかといえば「げんね(恥ずかしい)」と口に出していう。そうでない人間には、「あいつは、恥ずかしさを知らん」(げんねこちょ知らん)という批判が集まることになる。「そうか、今でもこういう言葉が残っとったか」と司馬さんも嬉しそうにうなずいて、その後も何かといえば、「ふふっ、あいつも、げんねこちょ知らんな」と、”司馬流アクセント”でそれは楽しそうに口にしていた(原文は仁尾さん)という。
ところで薩摩では、「げんねこちょ知らん」人以外に、「蔑まれる人」として「やっせんぼ」と「よかぶいごろ(格好ばかり気にする人)」という言葉がある。
「やっせんぼ」は、「あんワロは役(やっ)せんぼじゃ(弱虫)」という言葉も死語となりつつあるが、司馬作品を原作としたNHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の最初のシーン、「泣こかい とぼかい 泣こよかひっとべ」の精神で、物事は深く考えずにまず行動することを求められた。ひっとばないと、「やっせんぼ」というわけである。また昔の七高生に代表されるように、バンカラ気質が崇められ、「よかぶいごろ」も嫌われた。
でも鹿児島県人は普通にしていても田舎ぽいわけで、ちょっとは「よかぶらんな」、県外では誰も相手にしてくれないのではないだろうか。
