睡眠について(前)(2015/10/14)
人の一生を考えるとき、人生の約三分の一の時間は「睡眠」であるという事実に気づく。そうなると「いい睡眠がとれるかどうかどうか」は、その人が日々、健康感を持てるかどうかの大きなバロメーターになる。不眠が続くと一日中ぼっとした状態で過ごすことになるし、体がシャキッとしないことはよく経験する。
先日も「眠っていて覚えていない」という暴走事故が東京の池袋で発生し、多数の死傷者が出ている。専門家は「睡眠障害の可能性高い」と述べている。
私は小さい時から早寝早起きの習慣で生活してきた。現在も毎朝4時過ぎには起きているが、受験勉強のころにも就寝は夜中の12時を過ぎることはなかったし、逆に朝は父に起こしてもらうこともあった。もちろん徹夜などしたことはなかったが、医局で納先生と一緒に研究に取り組むようになって、一時的には夜型に変身したこともあった。
ところが睡眠に関してもっと詳しく述べると、私は寝つきがよくないという入眠障害と、寝ていても何度も目が覚めるという中途覚醒、そして最近では早朝覚醒など軽い「不眠症」という範疇に入るのかも知れないと思っている。また決まった時間と場所でないと、なかなか寝付けないという「習慣」を持っている。そのため飛行機や新幹線の中で寝たことはほとんどないし、昼寝も簡単にはできない。「交代勤務」をしなければならない仕事なら、一番苦労する睡眠のパターンということになる。
外来で患者さんを診察していた頃、患者さんから「眠れないのですが・・・」という相談をよく持ちかけられた。眠れない程度にもよるのだろうが、「眠れないで死んだ人はいないと聞いているので、あまり気にしない方がいいのでは」というようないい加減な返答をしていたが、本当はこれでは科学的でない。しかし睡眠薬が必要なのかどうかの判断は非常に難しい。個人的には睡眠薬を飲んだことは一回だけで、名古屋に深夜の高速バスで出かける時にハルシオンを一錠飲んだら実によく眠れたことを覚えている。
ちょっと前の話になるが、「三燦会」という旧第三内科の先生方を中心とする勉強会があり、久留米大学神経精神科の小鳥居望先生を招いて講演会を開いた。順番で座長をすることになっており、私の担当になっていた。講演が始まる前に控室でしばらく雑談をした。
私は30歳代から40歳代にかけてのころ、久留米大学神経内科の非常勤講師を10年ほどしていたことがあった。東京の都立府中病院時代に一緒に働いていた庄司先生が神経内科の教授に就任したので、筋肉病学を中心とした講義と回診などお願いされていた。そういう関係もあったので、すぐに打ち解けて話ができた。
「先生は若いですね。私が大学を卒業した時にお生まれですよ。ところで、小鳥居という苗字は鹿児島では珍しいですが」と話を向けると、「私は久留米で生まれたのですが、両親は長崎の波佐見の出身です」と話される。「そうですか、国立病院機構の川棚医療センターで講演した時、波佐見で鯨料理をご馳走になったことがあります」などと、あらぬ方向に話が弾んだ。鯨料理は私の大好物であるが、現在はなかなか手に入らない。東京にいたころ、渋谷の道玄坂にそのものずばりの「くじら屋」という専門店があったが、今もあるのだろうか。当時の師長さんの矢野さん(後の厚労省看護課長)に連れて行ってもらったことがあった。
先日も「眠っていて覚えていない」という暴走事故が東京の池袋で発生し、多数の死傷者が出ている。専門家は「睡眠障害の可能性高い」と述べている。
私は小さい時から早寝早起きの習慣で生活してきた。現在も毎朝4時過ぎには起きているが、受験勉強のころにも就寝は夜中の12時を過ぎることはなかったし、逆に朝は父に起こしてもらうこともあった。もちろん徹夜などしたことはなかったが、医局で納先生と一緒に研究に取り組むようになって、一時的には夜型に変身したこともあった。
ところが睡眠に関してもっと詳しく述べると、私は寝つきがよくないという入眠障害と、寝ていても何度も目が覚めるという中途覚醒、そして最近では早朝覚醒など軽い「不眠症」という範疇に入るのかも知れないと思っている。また決まった時間と場所でないと、なかなか寝付けないという「習慣」を持っている。そのため飛行機や新幹線の中で寝たことはほとんどないし、昼寝も簡単にはできない。「交代勤務」をしなければならない仕事なら、一番苦労する睡眠のパターンということになる。
外来で患者さんを診察していた頃、患者さんから「眠れないのですが・・・」という相談をよく持ちかけられた。眠れない程度にもよるのだろうが、「眠れないで死んだ人はいないと聞いているので、あまり気にしない方がいいのでは」というようないい加減な返答をしていたが、本当はこれでは科学的でない。しかし睡眠薬が必要なのかどうかの判断は非常に難しい。個人的には睡眠薬を飲んだことは一回だけで、名古屋に深夜の高速バスで出かける時にハルシオンを一錠飲んだら実によく眠れたことを覚えている。
ちょっと前の話になるが、「三燦会」という旧第三内科の先生方を中心とする勉強会があり、久留米大学神経精神科の小鳥居望先生を招いて講演会を開いた。順番で座長をすることになっており、私の担当になっていた。講演が始まる前に控室でしばらく雑談をした。
私は30歳代から40歳代にかけてのころ、久留米大学神経内科の非常勤講師を10年ほどしていたことがあった。東京の都立府中病院時代に一緒に働いていた庄司先生が神経内科の教授に就任したので、筋肉病学を中心とした講義と回診などお願いされていた。そういう関係もあったので、すぐに打ち解けて話ができた。
「先生は若いですね。私が大学を卒業した時にお生まれですよ。ところで、小鳥居という苗字は鹿児島では珍しいですが」と話を向けると、「私は久留米で生まれたのですが、両親は長崎の波佐見の出身です」と話される。「そうですか、国立病院機構の川棚医療センターで講演した時、波佐見で鯨料理をご馳走になったことがあります」などと、あらぬ方向に話が弾んだ。鯨料理は私の大好物であるが、現在はなかなか手に入らない。東京にいたころ、渋谷の道玄坂にそのものずばりの「くじら屋」という専門店があったが、今もあるのだろうか。当時の師長さんの矢野さん(後の厚労省看護課長)に連れて行ってもらったことがあった。
