Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

コラージュ療法(5)(2015/11/16) 

次に「はっぱ」という愛称で親しまれていた今村葉子さんである。西村君より少し先輩で大学卒業後、南九州病院に児童指導員として就職し、その後半は臨床心理士として院内外の「心の病」の相談に体を張って奮闘した。女性らしい細やかさがないわけではないが、男性顔負けの直球勝負のできる個性派の女性だった。
私も筋ジストロフィーやALS等のターミナル期の患者の受容や、外来で心理的な問題のありそうな患者さんで困った時には、いつも「はっぱ頼み」で相談に乗ってもらっていた。現在は姶良市で、女性カウンセラー4人による私設カウンセリングルーム「鹿児島心理オフィス」を開設している。また鹿児島県臨床心理士会の会長(2期6年間)も務めていた。 個人的にも印象に残っていることもたくさんあるが、まず筋ジス病棟でのカウンセリングから始めることにする。
ある年の4月、眉の濃い目のくりっとした見るからにきかん気の5年生が入院してきた。骨折を機に歩けなくなり養護学校に転校してきたのである。入院してしばらくの間はおとなしく、もっぱら一人でテレビゲームに興じていた。そのうちに入院生活にも慣れたのか、友だちや職員とも言葉を交わすようになった。
ある日の夕方、保育士さんに、「どうして僕は薬を飲まなくていいの」「僕は生まれてからずっと病気だよ。手と足の病気でほかはどこも悪くないから地域の学校に行きたい」「この病棟で、歩けるようになって退院した人はいるの」「病気が治らないなら家に帰りたい」などかねて心に思っていたいくつかの疑問を一気にぶつけたのだった。 保育士さんから相談を受けたとき、私はこの少年の難問に答えることはできなかった。ただ筋ジストロフィー患者さんの心理的な諸問題(病気や死の受容、家族のこと、性のこと、自己実現)への細やかな対応の重要性を痛感していた。
「太陽と死は見つめられない」ということわざがある。人生を肯定的に受け入れられない人に、死を受け入れさせることは不可能である。当初、筋ジス病棟で死に関する話をすることはタブーに等しかったが、臨床心理士による専門的知識と身を挺したカウンセリングで、多くの若者が病気を受容し生きがいを見つけ、相互の人間関係が豊かになることで、死と自然に向かい合えるようになったという実感を得ることができた。
彼らの多くは終日人工呼吸器をつけベッド臥床した生活にあったが、コンピューターグラフィックで心を打たれる日本の風景や花々を描いたり、インターネット上でさまざまな情報発信を行っていく。そして臨終のときにも、あたかも明日旅行にでも出かけるように、旅立っていったものである。今、振り返って考えても、とても信じられないような終末だった。