Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

コラージュ療法(4)(2015/11/12) 

さて、先週末、山口から娘と孫の芽生ちゃんが帰って来ていた。まだオムツも取れないというのに、「芽生ちゃん、いくつ?」と問いかけると、「1歳です。もうすぐ2歳になります」と答える仕草に子供の成長の早さに驚かされる。昔、西村君から「3歳までの成長と育児で、人格の骨格部分が形成されてしまう」と聞いたことがあった。「自分はその頃のことなどほとんど記憶にない」から、「嘘っぱち」と思っていたが、孫の成長を見ていると「なるほどかも知れない」と思ってしまう。そして娘の芽生ちゃんへの接し方を見ていると、母親の子どもへの愛情は尽きることのない泉のようなもので無限大だと思うことである。逆に子供は母親から「自分は愛されている」「自分は必要な人間だ」という深い自己肯定感や肯定的世界観を持つことになるのだと思う。
たまたま西村君の書いたものをインターネットで見つけたので紹介したい。
西村君のタイトルは、「子どもが育つ」ということ、「こころの出発点」である。
 人は生きていくその時々において、たくさんの人に出会い、その中で自分の存在を確かめ、生きる知恵をもらい成長していく。子どもにとって、その最初の出会いが、お母さんであり、そこから人との「関係」が始まる。
 私は二十数年間、医療、教育、福祉、心理など混在した世界の中で仕事をしてきた。その中で重度の障害を持つ子どもたちとの出会いが、今の仕事の原点である。ある時、周産期障害と診断された親子との出会いがあった。子どもには栄養チューブと排泄のためのチューブが入っていた。母親は面接の中で、「私は、この子に何ができるのでしょうか。医療は私がこの子にしてあげられることを全部奪っています」と話された。私には、母子関係の原点を断たれた悲痛な叫びに聞こえた。人としてこの世に生まれ、「こころ」が育っていくとき、「空腹になって泣くとミルクや母乳が与えられ、オムツがぬれて泣くとオムツを替えて心地よくしてもらう」という温かい相互作用が、「子ども主導型育児」の始まりであり、安心できる空間で、心と身体をゆだねる体験が「こころ」が育つ原点であるといっても過言ではない。
 人間は他の哺乳動物より1年早く誕生すると言われている。話せるようになる、歩けるようになる、母親と同じものを食べれるようになるまでに1年かかる。全面的に、大人に「ゆだねる」体験をしないと生きていけないのである。この乳幼児期の体験は、安心できる人がいればこそできることである。「こころ」が育つ大切な時期について、今、どれくらいの人たちが目を向けているだろうか。あわただしく時間に追われ、そのことに気づかない大人たちの姿が見えてくる。
「感情が育つ」
私は臨床活動の中で多くの子どもたちと出会ってきた。その時いつも「子どもたちは、今までどんな空気を食べて生きてきたのか」、あるいは「子どもたちは、どんなふうにその時々の感情を自分の中で処理してきたのか」等を感じるようにしている。
 子どもは、人との相互作用の中で「楽しい」「悲しい」「悔しい」「嬉しい」などの感情体験をしている。そしてその体験に、「楽しかったね」「悲しかったね」「悔しいね」「嬉しいね」などと大人が最初に「ことば」をかけ、体験した感情に「命名」する。そういう相互作用を通して、感情の共有が生まれ感情が育つのである。その時々において、子どもは自分が体験した感情をきちんと「伝えたい」と「受け止める人」を求めている。子どもには、自分の感情を受け止めてくれる大人の「こころの器」が必要である。楽しかった感情も、受け止める器がなかったら「怒り」に変わることを大人は知らなければならない。
 子どもたちは、心の中でおこる葛藤を攻撃行動として行動化することがある。また、腹痛や頭痛などの身体症状として表現するときがある。人は、表現する場所があれば落ち着き、表現したことを理解されると癒されるといわれる。自分のことを伝えることによって、自分の行動や考えを調整し統制していく力がつくのである。
 自分の心を本当に開いて話せる親や友人がいれば、自分の心にある葛藤をじっくり受け止め伝えることができるのである。「お母さんは、私の見てほしいところは見ないで、見てほしくないところばかり見る」と、ある女の子が話してくれた。子どもたちの心の中にある葛藤にきちんと向き合えるよう、大人は「待てる力」と「ゆとりの時間」が必要である。子どもにとって一番大切な人は、「安心できる」「受け止めてくれる」という快の状態を与えてくれる存在である。親が子どもにとって快になることをしてくれる存在であり、それが親子の絆ともいえる。子どもの時代に、どれくらい快の体験(愉快と思える体験)ができたかが、うまく成熟するのに必要な条件なのかもしれない。