コラージュ療法(3)(2015/11/11)
その後一念発起、臨床心理を志してあの有名な故河合隼雄先生に師事し、さまざまな研修を受けながら「臨床心理士」の資格を取得する。そしてこの資格取得は同僚の今村さんや久継君にも引き継がれていく。その後、国立病院を辞職し福岡県立大学大学院障害発達臨床心理学修士課程に進学し、卒業後現在の西九州大学に就職する。大学では学生を教育する傍ら自らも京都文教大学で学び、社会人として第一号の博士号を授与するという快挙を達成したのである。
数年前に、天文館で筋ジス病棟の当時の患者さんや職員が参加して 筋ジス病棟同窓会を開催したことがあった。この時、西村君の対面に座った沖縄(宮古島)から出席した「けんじろう」が「今日の講義、あれ作業療法じゃないの、手が疲れてしまったよ」と、朝の10時から夕方の4時まで行われたコラージュ技法を取り入れた研修会の模様を披露した。すかさず西村君、「けんじろう、今年のマンゴウ、小さかったし、熟してもいなかったよ。もっとちゃんとしたものを送れよ」と西村君。「ごめんごめん、でもよく言うよなあ、送ってもらっているのに。確かに今年はいいものがなかったんだよ。でもまあ、自分が今ここにあるのは、西村先生のお陰だからなあ」とけんじろう。
信じ難いことだが、昭和50年代、西村君は20歳代独身の時代に、筋ジス病棟に入院していた「けんじろう」を「普通高校に入学させよう」という一念で、中学3年の時に自分の家に引き取った。そして一年間、勉強や日常生活の面倒を一人でみたのである。「あの当時、まだ走れるのに、入院させておくのはけしからんと単純に思ったし、普通高校で教育を受けさせたかったからなあ」(当時、養護学校には高等部はなかった)と振り返る。「でも、毎日食事を作ったり、飲みに行くときにはけんじろうの食べるものを用意してから出かけたんだよ」と、さぞかし大変だっただろうと思う。
けんじろうは中学を卒業したが普通高校の受験には失敗し、谷山にある私立の高校に入学した。そして高校卒業後障害者のための訓練校に通い、加治木町にあった印刷所に就職した。また訓練校で知り合った沖縄の女性と結婚した。教会であった結婚式の仲人は西村夫妻が務め、空港ホテルで行われた披露宴には私も出席した思い出がある。全く脈絡のないことだが、あの頃はよく看護師さんの結婚式にも出席していたが「前山さんの隣の席なら」と無理な注文をして困らせていたものである。(長くなるので説明は省略)。
彼との思い出の一つに(この話をすると嫌がるのだが)、ある年の病棟の忘年会の時に酔っていてトイレでつまづいて頭を強打したこともあった。市立病院で検査すると少量ではあるが脳内出血が見つかり、手術するべきか迷った。結局そのまま経過を見ることにしたが、その後の活躍をみると手術しなかったのは正解だったようである。この時、まだ若かった奥さんの、凜とした落ち着いた振る舞いに感動したものである。
彼は現在、大学での教育や学科長としての管理運営、そして学会での研究など多忙のようであるが、機会があれば当院でも一度講演をお願いしたいと思っている。
数年前に、天文館で筋ジス病棟の当時の患者さんや職員が参加して 筋ジス病棟同窓会を開催したことがあった。この時、西村君の対面に座った沖縄(宮古島)から出席した「けんじろう」が「今日の講義、あれ作業療法じゃないの、手が疲れてしまったよ」と、朝の10時から夕方の4時まで行われたコラージュ技法を取り入れた研修会の模様を披露した。すかさず西村君、「けんじろう、今年のマンゴウ、小さかったし、熟してもいなかったよ。もっとちゃんとしたものを送れよ」と西村君。「ごめんごめん、でもよく言うよなあ、送ってもらっているのに。確かに今年はいいものがなかったんだよ。でもまあ、自分が今ここにあるのは、西村先生のお陰だからなあ」とけんじろう。
信じ難いことだが、昭和50年代、西村君は20歳代独身の時代に、筋ジス病棟に入院していた「けんじろう」を「普通高校に入学させよう」という一念で、中学3年の時に自分の家に引き取った。そして一年間、勉強や日常生活の面倒を一人でみたのである。「あの当時、まだ走れるのに、入院させておくのはけしからんと単純に思ったし、普通高校で教育を受けさせたかったからなあ」(当時、養護学校には高等部はなかった)と振り返る。「でも、毎日食事を作ったり、飲みに行くときにはけんじろうの食べるものを用意してから出かけたんだよ」と、さぞかし大変だっただろうと思う。
けんじろうは中学を卒業したが普通高校の受験には失敗し、谷山にある私立の高校に入学した。そして高校卒業後障害者のための訓練校に通い、加治木町にあった印刷所に就職した。また訓練校で知り合った沖縄の女性と結婚した。教会であった結婚式の仲人は西村夫妻が務め、空港ホテルで行われた披露宴には私も出席した思い出がある。全く脈絡のないことだが、あの頃はよく看護師さんの結婚式にも出席していたが「前山さんの隣の席なら」と無理な注文をして困らせていたものである。(長くなるので説明は省略)。
彼との思い出の一つに(この話をすると嫌がるのだが)、ある年の病棟の忘年会の時に酔っていてトイレでつまづいて頭を強打したこともあった。市立病院で検査すると少量ではあるが脳内出血が見つかり、手術するべきか迷った。結局そのまま経過を見ることにしたが、その後の活躍をみると手術しなかったのは正解だったようである。この時、まだ若かった奥さんの、凜とした落ち着いた振る舞いに感動したものである。
彼は現在、大学での教育や学科長としての管理運営、そして学会での研究など多忙のようであるが、機会があれば当院でも一度講演をお願いしたいと思っている。
