Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

偲ぶ会(2015/11/05) 

2015年の南風病院「患者さまを偲ぶ集い」が、アネックス2階の大会議室で開催された(10月22日)。当日は吉田葬祭によって立派な祭壇が設けられ、厳かな式場に変身していた。
「偲ぶ会は」午後2時から、現在、緩和ケア病棟でも「心のケア」などでお世話になっている善福寺住職の長倉先生の読経のなかで、ご家族、病院関係者がそれぞれ白菊を献花した。出席されたご家族は緩和ケア病棟で今年度亡くなられた7家族で、病院関係者も理事長、名誉院長をはじめ、多くの方々が参列し、献花した。
その後、お茶を飲みながら「語る会」を催されたが、緩和ケア病棟での行き届いた対応に、出席者のご家族は心から感謝されておられた。
私の隣の方は73歳の元小学校の校長先生で、68歳の奥様が胆管癌で亡くなられたという。現在ご主人はボランティア活動に精出されているようである。「私は仕事人間で、家事、子育てなど全て家内に任せてきましたので、主夫になってみて大変ですよ。卵焼きも3度も黒こげにしました。家内は(高校で私の一年先輩にあたるようだが)横川中学で一番で、鶴丸高校に入学しました。3年間、横川から汽車通学した頑張り屋で、今回がんが見つかって一年半ほどの闘病でしたが、弱音を吐いたことは一度もありませんでした。元気そうに普通に振舞い、近所の人も病気だったとは亡くなってから知ってびっくりしたほどでした。毎朝、きちんと化粧し、夜落としていました。弱った自分の姿を見せたくなかったのでしょう。がんと言う診断を受けてから、いろんなところに旅行も致しました。子供や孫とも一緒に食事などもしました。最期の時を過ごす十分な時間が取れました。心残りは、長倉先生も言われたように、『ありがとう』の一言が生前に言えなかったことですね」。
 私は最後の挨拶で、長倉先生の「お話」も引用させてもらいながら、一言述べた。
今年の慰霊祭は、私にとりましても格別なものがありました。それはこの8月18日に、母を亡くしたからです。私は人生を大きな物語だと思っています。結婚していたら多くの方は4人の親を持つことになります。私の場合、いつの間にかその4人の親に先立たれてしまいました。いわゆる順縁となるわけですが、実の両親は脳血管障害で、義理の両親はがんで亡くなりました。どのような病気で一生を終えるかは誰も予想できません。ただ脳や心臓の病気ではあっけなく亡くなる場合が多く、物足りなさを感じます。一方、がんの場合にはある程度予想ができますので、お互いに死後のことなど準備ができたり、いろいろと話ができるという意味では、がん死はありがたいように感じています。今日の長倉さんの話にもありましたように、生前に親とよく話をしたり、ありがとうの感謝の言葉もかけておくということが大切ですが、こんな簡単なことができないのも人生ですね。また、病院からセンターへの行き帰り、冷水峠の納骨堂を車で通るとき、近くからみてくれているような錯覚におそわれます。心の持ちようで、亡くなっても近くにいるものです。