ふがいい(3)(2015/12/22)
(2) 集団食中毒
先日、「ノロに見舞われて(宮路重和著)」という一冊の分厚い本が送られてきた。著者の宮路氏は宮崎の医療法人春光会理事長で、2012年に患者6人が死亡するという集団感染の現場となった病院のトップである。当時、何度も記者会見行われ、テレビで逐次放映されて気の毒に思っていたが、今回、ノロウイルスの集団感染はなぜ起こり、どうすれば防げたのかを徹底検証している。実は著者の宮路氏とは個人的には面識はないのだが、大学の一年先輩にあたり、また妹さんが南九州病院の医局秘書を長年されていた。私は研究班の雑事を含めて、文章の校正や作図などで大変お世話になっていた。感謝しても感謝しきれないほどである。
この本を読むと検証の結果、胃瘻や胃瘻周囲のノロ感染により伝搬したという結論である。ノロウイルスによる胃腸炎が流行している時期の胃瘻患者の嘔吐や下痢はいつもの嘔吐や下痢と見過ごさず、ノロウイルス感染症として対処することが肝要であると。そして院内のノロウイルス感染を確認してからは対策が後手に回るので、ノロウイルス感染症の流行が始まったら、外来及び入院患者の嘔吐、あるいは下痢は、症状がそれ単独でもノロを疑い、早期の感染対策の必要なことを何度も注意喚起している。
さて南九州病院の院長時代の2002年(平成14年)に、売店の弁当を食べた職員や家族に集団食中毒(ノロウイルス検出)が発生し、入院病床だけでは間に合わずに、外来まで野戦病院のようになったこともあった。看護部のミニバレー大会で配られた弁当がノロウイルスに汚染されており、一気に感染が拡大したのである。幸いにも重症化はせずに亡くなるような人も出なかったが、保健所の調査でいろいろなことが判明した。配られた弁当を友達にあげたり、一緒に食べて同時感染を起こしたために、それまで明らかになっていなかった「恋人関係」まで調べが進んで、びっくりしたこともあった。弁当を作った加治木町内の業者から患者へは少額の見舞金が出されたと聞いたが、その業者はまもなく倒産した。
(3)落雷による全電源喪失
世の中こと、先々のことは予測もつかない。2006年(平成18年)には受電器に落雷し全ての電源が喪失、数時間も病院全館停電になったこともあった。
一瞬の落雷で、病院の機能が停止してしまった。6月24日土曜日、午後12時50分頃、私は病院前庭駐車場の車の中で、雨脚の弱まるのを待っていた。東京出張からの帰りで、午後から予定されている看護協会主催の講演の準備をするつもりだった。玄関までわずかの距離であるが荷物も多いし、雨脚が少し弱まるのを車の中で待機していたのである。ちょうどその時、ものすごい雷鳴が轟いた。ただその時点では「近くで雷が落ちたらしい」くらいの認識だった。
病院の玄関をくぐった瞬間、事態は急変した。「先生、落雷による停電で自家発電も機能しなくなりました」という当直の宮原師長の悲痛な一声から、その後8時間の「緊迫のドラマ」が始まる。取りあえず玄関横の事務当直室が対策本部のような格好になり、当直者の電話の応対に右往左往している。松田麻酔科部長(現在南風病院)が顔を出し、先ほどまで緊急オペがあり、終わったときにあの雷鳴を聞いたという。停電となると取りあえず、人工呼吸器の患者さんが心配になる。また吸引器、ナースコールも使用できないという。呼吸器に関しては当直の金澤医長や松田部長、宮原師長が各病棟に走り、対応してくれていた。
後の宮原レポートによると、私は13時10分に来院となっているが、もう少し早かったかも知れない。この時点で、諸先生方も来院されそれぞれ対応に当たり、また緊急時の師長連絡網で上別府副看護部長(現在鹿児島医療センター)や各師長も来院されていた。さしあたっては自家発電の復旧であるが、電気技師長の鹿児島市からの到着を待たなければならない。九州電力に電話したが、院内に送電されてからの故障ということでそっけなかった。13時40分頃、自家発電が動き出し、ひとまず安心である。電気技師長と電気担当の会社の人も来られて、原因究明と外部電力(九州電力)への切りかえ作業を3回試みたが、うまくいかなかった。後でわかったことであるが、落雷により過電流が流れ、基盤のヒューズが黒く焦げている部分が数ヶ所見つかり、自動的に切り替えられなかったのである。交換部品を福岡から取り寄せないといけないことがわかり、懸命の努力の結果、19時20分に手動の切り替えが成功し、一応外部電力による普通の体制に戻ることができた。電気室の機械の横には「お水とお塩」が置かれていたが、まさに神頼みの心境であった。
自家発電のときに困ることは、容量の関係で冷房が使えないこと、調理などへの影響で、その夜の夕食は非常食に切りかえざるを得なかった。栄養士も加わり、懸命の応急処置をしてくれた。勿論、調理室、ボイラーの方々の協力も多大なものがあった。病院全員で患者さんの「いのち」を守るため、精一杯の努力を傾けてくれたのである。
個人的には当日15時15分から加音ホールで予定されていた姶良郡看護協会主催の講演会はキャンセルさせてもらった。
ただこのような緊急事態の中で一人一人が的確に行動してくれて、大きな被害を出さなくてすんだ。職員の危機管理に対する意識の高さと責任感の強さによるものと思った。
先日、「ノロに見舞われて(宮路重和著)」という一冊の分厚い本が送られてきた。著者の宮路氏は宮崎の医療法人春光会理事長で、2012年に患者6人が死亡するという集団感染の現場となった病院のトップである。当時、何度も記者会見行われ、テレビで逐次放映されて気の毒に思っていたが、今回、ノロウイルスの集団感染はなぜ起こり、どうすれば防げたのかを徹底検証している。実は著者の宮路氏とは個人的には面識はないのだが、大学の一年先輩にあたり、また妹さんが南九州病院の医局秘書を長年されていた。私は研究班の雑事を含めて、文章の校正や作図などで大変お世話になっていた。感謝しても感謝しきれないほどである。
この本を読むと検証の結果、胃瘻や胃瘻周囲のノロ感染により伝搬したという結論である。ノロウイルスによる胃腸炎が流行している時期の胃瘻患者の嘔吐や下痢はいつもの嘔吐や下痢と見過ごさず、ノロウイルス感染症として対処することが肝要であると。そして院内のノロウイルス感染を確認してからは対策が後手に回るので、ノロウイルス感染症の流行が始まったら、外来及び入院患者の嘔吐、あるいは下痢は、症状がそれ単独でもノロを疑い、早期の感染対策の必要なことを何度も注意喚起している。
さて南九州病院の院長時代の2002年(平成14年)に、売店の弁当を食べた職員や家族に集団食中毒(ノロウイルス検出)が発生し、入院病床だけでは間に合わずに、外来まで野戦病院のようになったこともあった。看護部のミニバレー大会で配られた弁当がノロウイルスに汚染されており、一気に感染が拡大したのである。幸いにも重症化はせずに亡くなるような人も出なかったが、保健所の調査でいろいろなことが判明した。配られた弁当を友達にあげたり、一緒に食べて同時感染を起こしたために、それまで明らかになっていなかった「恋人関係」まで調べが進んで、びっくりしたこともあった。弁当を作った加治木町内の業者から患者へは少額の見舞金が出されたと聞いたが、その業者はまもなく倒産した。
(3)落雷による全電源喪失
世の中こと、先々のことは予測もつかない。2006年(平成18年)には受電器に落雷し全ての電源が喪失、数時間も病院全館停電になったこともあった。
一瞬の落雷で、病院の機能が停止してしまった。6月24日土曜日、午後12時50分頃、私は病院前庭駐車場の車の中で、雨脚の弱まるのを待っていた。東京出張からの帰りで、午後から予定されている看護協会主催の講演の準備をするつもりだった。玄関までわずかの距離であるが荷物も多いし、雨脚が少し弱まるのを車の中で待機していたのである。ちょうどその時、ものすごい雷鳴が轟いた。ただその時点では「近くで雷が落ちたらしい」くらいの認識だった。
病院の玄関をくぐった瞬間、事態は急変した。「先生、落雷による停電で自家発電も機能しなくなりました」という当直の宮原師長の悲痛な一声から、その後8時間の「緊迫のドラマ」が始まる。取りあえず玄関横の事務当直室が対策本部のような格好になり、当直者の電話の応対に右往左往している。松田麻酔科部長(現在南風病院)が顔を出し、先ほどまで緊急オペがあり、終わったときにあの雷鳴を聞いたという。停電となると取りあえず、人工呼吸器の患者さんが心配になる。また吸引器、ナースコールも使用できないという。呼吸器に関しては当直の金澤医長や松田部長、宮原師長が各病棟に走り、対応してくれていた。
後の宮原レポートによると、私は13時10分に来院となっているが、もう少し早かったかも知れない。この時点で、諸先生方も来院されそれぞれ対応に当たり、また緊急時の師長連絡網で上別府副看護部長(現在鹿児島医療センター)や各師長も来院されていた。さしあたっては自家発電の復旧であるが、電気技師長の鹿児島市からの到着を待たなければならない。九州電力に電話したが、院内に送電されてからの故障ということでそっけなかった。13時40分頃、自家発電が動き出し、ひとまず安心である。電気技師長と電気担当の会社の人も来られて、原因究明と外部電力(九州電力)への切りかえ作業を3回試みたが、うまくいかなかった。後でわかったことであるが、落雷により過電流が流れ、基盤のヒューズが黒く焦げている部分が数ヶ所見つかり、自動的に切り替えられなかったのである。交換部品を福岡から取り寄せないといけないことがわかり、懸命の努力の結果、19時20分に手動の切り替えが成功し、一応外部電力による普通の体制に戻ることができた。電気室の機械の横には「お水とお塩」が置かれていたが、まさに神頼みの心境であった。
自家発電のときに困ることは、容量の関係で冷房が使えないこと、調理などへの影響で、その夜の夕食は非常食に切りかえざるを得なかった。栄養士も加わり、懸命の応急処置をしてくれた。勿論、調理室、ボイラーの方々の協力も多大なものがあった。病院全員で患者さんの「いのち」を守るため、精一杯の努力を傾けてくれたのである。
個人的には当日15時15分から加音ホールで予定されていた姶良郡看護協会主催の講演会はキャンセルさせてもらった。
ただこのような緊急事態の中で一人一人が的確に行動してくれて、大きな被害を出さなくてすんだ。職員の危機管理に対する意識の高さと責任感の強さによるものと思った。
