Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

ふがいい(2)(2015/12/21) 

(なお、「ふがいい」は鹿児島弁で、「運がいい」ということである)。
(1)  病室内火災
 ここに一枚の古ぼけた新聞記事があり、大見出しは「未明、南九州病院で火事」となっている。18日(1998年7月)午前2時45分ごろ、姶良郡加治木町の国立療養所南九州病院の鉄筋二階建て病棟二階個室から出火、ベッドの一部を焼き、このベッドに寝ていた入院患者の姶良郡横川町、無職○○さん(64)が上半身にやけどを負った。鹿児島市立病院に搬送したが重体。加治木署の調べによると当直看護婦がナースステーションで待機中、火災報知機が鳴り出火に気付き、すぐに消化器で消した。○○さんは一人で寝起きができない状態だった。出火原因については、たばこの可能性もあるとみて調べている。
病室火災を思い出すのである。本当は思い出したくない記憶だけど、「歳歳年々人同じからずや」で、あの時の痛恨事をよく覚えている人も少なくなっているので、気持を新たにしてもらう意味で振り返ってみたい。
 もう少し詳しく整理すると、ターミナル期の肺癌患者が、夜半に煙草を取り出してマッチで火をつけようとしたところ、手が滑って煙草がベッドに落ちてしまった。ここでナースコール押せばよかったのに、かねて病室での喫煙を固く禁止されていたので、自分で消そうと思っている間に火は燃え広がったようである。当初詰所の隣の個室にいながら、初期の段階でどうしてスタッフは気づかなかったかと不思議に思ったが、ここらあたりが遅くなった理由のようである。また煙草がどうしても止められないということで、昼間は看護師が車椅子に乗せて所定の場所で喫煙させていたという。マッチは見舞い客が置いていったようだ。
 消火活動に関しては、当時南九州病院の婦長だった大山さんのご主人が、階下の1病棟にお父さんが入院されており、たまたま付添っておられて煙に気づき初期消火にも適切に対応してくれたのである。もし大山さんがおられなければもっと火は拡がっていた可能性もあり、今でも感謝しても感謝しきれない気持である。また職員の消火活動も特段問題もなく適切に行われ、病室火災だけで済んだのである。私は当時鹿児島市内に住んでいたので電話で飛び起き、猛スピードで飛ばしわずか20分ほどで病室に着いたが、その時は既に鎮火した後だった。ただこのようなことは続くもののようで、当日は3病棟のトイレでも、子どもの悪戯からちょっとしたボヤ騒ぎもあった。患者さんは重度の火傷で翌翌日に亡くなられたように記憶している。娘さんが付き添われていたが親の不注意だったという認識で、「すみませんでした」とのお詫びの言葉まで頂いた。
 翌朝からの消防と警察の現場検証は細密なもので、当日の深夜の看護婦さんは何度も尋問を受け、心身ともに大変なご苦労をかけたかと思う。また私は院長に就任してまだ3ヶ月余りしか経っていなかったので、マスコミはじめ適切な対応ができたか自信はない。当時南日本新聞加治木支局長は知性溢れる美貌の海江田記者だったが、かねて旧知の間柄であったこともあり、実に冷静に対応してくれた。夕刊ではやや大きく報じられたが、翌日の朝刊は比較的地味な扱いにしてくれた。その代わり、「煙草と禁煙と肺癌」というテーマで別な視点から記事にしたいということだったが、この話も立ち消えになった(鹿児島新報は予想外の大きな扱いだったが、会社はその後数年して潰れてしまった)。当時の九州医務局長は羽入直方さんで大したおとがめもなく、逆に元気付けられたことを今でも感謝している。
 「災い転じて福と為す」という諺がある。院長になって数ヶ月、患者数や平均在院日数も短縮され、経営的には順風満帆に思えるときに惨事であった。ただこのことを教訓に、管理者は病院の長期的な発展を考える時には、リスク管理は欠かせないという思いで、病院の医療安全管理の構築を始めたことが現在の活動に繋がっているということになる。