ふがいい(1)(2015/12/18)
毎年のことだが、恒例のインフルエンザ流行の季節となった。昨年は南風病院でも多くの職員も感染して、重要な会議などが先送りされた苦い思い出がある。2月ごろまで気は抜けない。また16日には防火訓練も行われた。
個人的には後でも述べるように、平成10年、南九州病院の院長になって間もなく(3か月余り)発生した病室火災が、私の「病院マネジメント」の原点であったような気がする。
下記の文章は数か月前に、南九州病院時代に書いていたものも含めて書き直したものである。個人的にも組織的にも「災害は忘れたころに突然起きる」ことが多いので、日ごろの「用心と準備」がもっとも肝要である。
もうずいぶん経ってしまったが、現在当院で元気に研修中のI君が、日曜日にサッカーの試合中に相手との接触事故で下肢を骨折し、それが原因で頭部や胸部の脂肪塞栓を併発した。意識障害がおきて昏睡状態になり、危機的状況に陥った。当日、当院の整形外科で骨折に対する整復の手術前に急変したのであるが、今考えると不幸中の幸いというか、術中にでも起きていたらとぞっとする。みんなで協議の結果、低体温療法も可能な大学病院にお願いすることが最善の方策だと判断し救急車で搬送した(結果的には低体温療法の必要はなかったのだが)。
搬送された翌日、当院の総務課長の肥後さんとお礼とお見舞いかたがた、大学病院を訪問した。麻酔科の上村教授の案内で救急部に行く途中、今からCT撮影に行く途中のストレッチャー上のI君と偶然出会った。心配していたが、顔の表情や頷く状況から、「これなら大丈夫だろう」と安心することができた。
その後、後遺症を残すことなく完全に回復できた。昨夜の忘年会でも元気そうに舞台で踊っていた。もしものことがあったらどうしようかと、本当に心配した。後で本人に聞いて見ると、私たちが見舞いに行ったことも全然覚えていないという。
今から考えると、このときのI君のご両親の態度は実に立派で、取り乱すこともなく冷静に対応されていた。わが身になって考えると、なかなかできることではないと感心するばかりである。I君は、現在は何事もなかったかのように、初期研修も遅れることもなく普通に研修中である。時々、レストラン空で昼食時に出会った時に「もうサッカーもできそうだね」と声をかけると、「まだ完全には・・・」と笑いながら答えるが、まんざらでもなさそうである。医師としての出発点で思いがけず患者になったことで、きっと患者さんの気持ちもよくわかる、いい医師になるだろうと思うことである。
さて肥後さんの運転する車で病院に帰る途中、「私は南九州病院時代と合わせると17年以上院長をやっていることになる。まあいろんな『事件』にも遭遇したけど、『ふがよくて』大事に至らずに済んだことが多い」と話すことだった。
そこで私が遭遇した主な「事件」について、今後の危機管理にも多少は役立つと思うので、ここでまとめて書き留めておきたい(今まで書いてきたことと、一部重複する部分もある)。
個人的には後でも述べるように、平成10年、南九州病院の院長になって間もなく(3か月余り)発生した病室火災が、私の「病院マネジメント」の原点であったような気がする。
下記の文章は数か月前に、南九州病院時代に書いていたものも含めて書き直したものである。個人的にも組織的にも「災害は忘れたころに突然起きる」ことが多いので、日ごろの「用心と準備」がもっとも肝要である。
もうずいぶん経ってしまったが、現在当院で元気に研修中のI君が、日曜日にサッカーの試合中に相手との接触事故で下肢を骨折し、それが原因で頭部や胸部の脂肪塞栓を併発した。意識障害がおきて昏睡状態になり、危機的状況に陥った。当日、当院の整形外科で骨折に対する整復の手術前に急変したのであるが、今考えると不幸中の幸いというか、術中にでも起きていたらとぞっとする。みんなで協議の結果、低体温療法も可能な大学病院にお願いすることが最善の方策だと判断し救急車で搬送した(結果的には低体温療法の必要はなかったのだが)。
搬送された翌日、当院の総務課長の肥後さんとお礼とお見舞いかたがた、大学病院を訪問した。麻酔科の上村教授の案内で救急部に行く途中、今からCT撮影に行く途中のストレッチャー上のI君と偶然出会った。心配していたが、顔の表情や頷く状況から、「これなら大丈夫だろう」と安心することができた。
その後、後遺症を残すことなく完全に回復できた。昨夜の忘年会でも元気そうに舞台で踊っていた。もしものことがあったらどうしようかと、本当に心配した。後で本人に聞いて見ると、私たちが見舞いに行ったことも全然覚えていないという。
今から考えると、このときのI君のご両親の態度は実に立派で、取り乱すこともなく冷静に対応されていた。わが身になって考えると、なかなかできることではないと感心するばかりである。I君は、現在は何事もなかったかのように、初期研修も遅れることもなく普通に研修中である。時々、レストラン空で昼食時に出会った時に「もうサッカーもできそうだね」と声をかけると、「まだ完全には・・・」と笑いながら答えるが、まんざらでもなさそうである。医師としての出発点で思いがけず患者になったことで、きっと患者さんの気持ちもよくわかる、いい医師になるだろうと思うことである。
さて肥後さんの運転する車で病院に帰る途中、「私は南九州病院時代と合わせると17年以上院長をやっていることになる。まあいろんな『事件』にも遭遇したけど、『ふがよくて』大事に至らずに済んだことが多い」と話すことだった。
そこで私が遭遇した主な「事件」について、今後の危機管理にも多少は役立つと思うので、ここでまとめて書き留めておきたい(今まで書いてきたことと、一部重複する部分もある)。
