Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

頑張れ!みゆき(前)(2015/12/15) 

人はかねての、それも小さい頃からの環境と学習、そして日ごろの「心の鍛錬」で強くなるものだとつくづく思う。私が関わりを持った筋ジストロフィー患者さんの多くは、小さい頃から病気とうまく「折り合い」をつけて、ちょっとやそっとでは惑わされない揺るぎない強い心を持っているように感じている。
小さいころから南九州病院に長期間入院し、そして同病の友だちと病院を退院して自立の道を歩んでいる一人にみゆきさんがいる。現在、NPO法人自立生活センター「てくてく」を立ち上げ、その活動の推進のために車椅子で全国を駆け巡っていた。南九州病院からの退院のいきさつなど、2010年に、私は以下のような文章を「前院長雑感」として綴っている。 よくぞ頑張った10年
「食事会」の案内の葉書をもらった。この食事会、当初の計画されていた6月は東京出張と重なってしまい出席できなかったのであるが、主催者の一人が、幸か不幸か「ヒックヒック」になってしまい、約一月の延期となってしまったのである。
7月24日、ホテルウエルビューかごしまで、その「食事会」は開催された。主役はもちろんH姉妹で、脇役がIさんである。というのも、まず10年前の6月2日にH姉妹が病院を退院して在宅での生活を始め、4年後にIさんがそれに続いた。退院する前には3人とも、ほぼ20年間の筋ジストロフィー病棟での生活があったのである。H姉妹にとっては、生まれて初めての病院以外での社会生活だった。
三人とも臨床診断はいわゆる脊髄性筋萎縮症で、知的能力はすこぶる活発であるが、進行性の手足の筋力低下のために車いすでの生活である。ミチエは生まれて一度も立って歩いたことがないかも知れない。またこの病気の困った特徴の一つとして、特に幼少時は感染に弱く、冬の期間は毎月熱発して抗生剤の入った点滴につながれていた。痰が出しにくく、「ヒックヒック」言っていることが多かったので、私が茶化していたのを逆手にとって、メールアドレスは「hikuhiku」となっていた。ところが長じるにつれ免疫力が出来てくるのか、多くの場合には感染の機会は減ってたくましくなっていく患者が多い。寺崎(南九州病院に入院中)のいうところの、長じるにつれての「出世魚」である。
それにしても今振り返っても驚くのは、10年前によく「決断」したものである。もちろん傍目には無謀にも思える出来事だったが、よくよく考えての計画的な実行だったと思われる。食事会の時の父親の話では、「もちろん退院には反対していたが、分かった時には既に自立生活を始めていた」という。
この社会的な自立に関しては、当時加治木養護学校の先生だった川涯先生と奥さんの並々ならぬ援助があった。川涯先生は短歌の指導や筋ジス患者が中心になって組織していた「View川通信」の活動を行ううちに、「一般社会で生活させたい」という思いが強くなったようである。たまたま坂下さんという篤志家の援助もあり、病院の正門前に住居と調剤薬局の「ブドウの木薬局」を創り、その運営をT姉妹に任せた。食事会の時の坂下さんの話では、薬局の運営は経済的にうまくいかずに一年間で閉鎖せざるを得なかったことを詫びていた。また川涯先生の奥さんは、お金をねん出するために「(ブドウの木)加治木饅頭」作りに奔走された。全くの素人の事業だったので、当初は小型トラック一杯分くらいの饅頭を捨てることになったという。その甲斐あって、しばらくすると、どこの店の饅頭より美味しい加治木饅頭が作れるようになったと自負されていた。この饅頭、現在は鹿児島市で聾の人たちの手で「ブドウの木加治木饅頭」として引き継がれているようだ。
ところでこの「食事会」、縁やゆかりのある人たちが40人ほど集まって、和やかで楽しい会になった。当院の関係者では、今村さん(指導員)や故内君のお母さん、浜崎、中村、本重、竹、石橋さんなど当院看護師OBなどで、久しぶりの同窓会のようでもあった。
H姉妹やIさんのすごさは、社会的な活動として「自立生活センターてくてく」というサービス事業所を立ち上げていることである。設立理念として「どんなに重度な障害を持っていても地域の中であたり前に暮らしたい、そんな願いを夢として語るだけでなく実現する」、そして今後目指すものとして「一人一人の力を信じて、誰もが主体的に自分らしく生きる社会を目指してさまざまな活動をしていきたい」と宣言している。具体的な活動として、相談業務、ピアカウンセリング、自立生活プログラム、介助者派遣サービス、移送サービス、自立生活体験室などを挙げている。
食事会も無事終わって、姉からメールが届いていた。
父は相変わらず、「父ちゃんはなごねで(長くはない)」と言いながら、なんやかんやとしてくれます。もう、お前達のことは心配いらんから、安心して死ねると言ってますが、死んでもらっても困るので、まだ喧嘩しながら長生きしてもらおうと思っています。先生も毒舌に磨きをかけて、これからも叱咤激励してくださいね。入院はたまにはしないと、先生が寂しいでしょうからね(笑)
お互いに悪口を言い合いながらも、この「腐れ縁」は当分の間続きそうである。(終)