自分の立ち位置(2015/12/10)
人は誰しも、自分のことは案外わからないものである。立ち位置いうか、自分の立脚点(ポジショニングとでも形容できようか)がどこにあるのかわからないまま過ごしている。ただここでいうところの立脚点という言葉は、多分に物理的なものである。地図を広げるまでもないことだが鹿児島は日本列島の最南端の端っこに位置しており、私はここで生まれ育った。ところが普段はそのような意識はないまま暮らしているが、時に思い知らされることがある。
明治以降、日本を動かしているのは政治も経済も文化も紛れもなく東京である。全てのことが東京を中心に動いており、東京に住んでいると地方のことなど関心がなくなるのは自然のことである。地方での大きな事件と東京での小さな事件は、マスコミの取り上げ方は同等である。
私は大学を卒業して医師となり、昭和49年から2年間、勇躍東京で暮らした。「鹿児島から来ました」と大家さんに言うと、「九州からですか」と返事された。「いや、鹿児島です」と言ってもピンとこないようで、東京の人にとっては、鹿児島も福岡も一緒であり九州という言葉で一括りにされていることを知った。鹿児島に住んでいると東京のことは気になるが、やはり東京の人にとっては地方のことには無関心なのである。
3年前に南九州病院を辞める年に、長年の国家公務員としての働きが認められたのか、思いがけず人事院総裁賞を頂いた。そして皇居で、天皇・皇后両陛下と30分ほど御接見を賜るという僥倖に恵まれた。当時はさほどすごいことだとは思わなかったが、両陛下とそれぞれ水入らずで、数分ずつでもお話ができたということは例外的なことなのだろう。国立病院機構の桐野理事長には「学者の世界では、文化勲章でももらわなければ、直にお話しできる機会などありませんよ」と冷やかされた。この時にもまず「鹿児島からですか」と、両陛下からお言葉をかけられたような記憶がある。
後で調べると木戸孝允の玄孫だという高齢の女官長が歩み寄ってきて、「鹿児島からですか。本当に遠いところからご苦労さまです。お帰りになられる時には是非とも東京見物などされて、お帰りになってください」などと言われた。皇居に長く住んでおられると、時間も空間も、明治時代の感覚とあまり変わっていないことに驚いた。
このようなことを話題にするきっかけになったのはPHP12月号に掲載されていた曽野綾子さんへの取材記事を読んだからである。曽野さんは現在84歳ということだが、「運命に逆らわず自然に生きる」という箇所が面白かった。
・・・命だってそうです。寿命という言葉はギリシャ語で「ヘリキア」と言いますが、これには寿命の他に「その職業に適した年齢」と「背丈」という意味もあるのです。どれも努力で変えたくてもどうしようもないものですね。その人に合った命の長さがある。ですから私は、六十歳以降は健康診断というものは一切受けていないんです。わざわざ病気を探し出して治そうとは思わないのです。
ただ病院に行くことはあるんですよ。ある時、ものすごく身体がだるいので近所のお医者さんにかかったら、軽い膠原病だとの診断でした。こんなことを言ったら同じ病気で苦しむ方には失礼かも知れませんが、あくまで私にとって膠原病はいい病気です。なにしろ「薬はない、医者もいない、一生治りません、でもすぐには死にません」とのことです。・・・
そして次の文章である。
・・・ですから、少々の不調はあきらめて付き合っていくしかないと思っています。そう考えれば気がラクです。これが「名医が一人鹿児島にいます」なんて言われでもしたら大変です。なんとか診て頂くのに、予約を取って鹿児島まで行かなきゃなりませんからね。・・・
ここでも「鹿児島」が遠い所という、名誉ある「たとえ」に使われているが、曽野さんもまさかこのような読まれ方をしているとは思わないだろう。関心のおもむくところ、注目箇所は、それぞれである。
明治以降、日本を動かしているのは政治も経済も文化も紛れもなく東京である。全てのことが東京を中心に動いており、東京に住んでいると地方のことなど関心がなくなるのは自然のことである。地方での大きな事件と東京での小さな事件は、マスコミの取り上げ方は同等である。
私は大学を卒業して医師となり、昭和49年から2年間、勇躍東京で暮らした。「鹿児島から来ました」と大家さんに言うと、「九州からですか」と返事された。「いや、鹿児島です」と言ってもピンとこないようで、東京の人にとっては、鹿児島も福岡も一緒であり九州という言葉で一括りにされていることを知った。鹿児島に住んでいると東京のことは気になるが、やはり東京の人にとっては地方のことには無関心なのである。
3年前に南九州病院を辞める年に、長年の国家公務員としての働きが認められたのか、思いがけず人事院総裁賞を頂いた。そして皇居で、天皇・皇后両陛下と30分ほど御接見を賜るという僥倖に恵まれた。当時はさほどすごいことだとは思わなかったが、両陛下とそれぞれ水入らずで、数分ずつでもお話ができたということは例外的なことなのだろう。国立病院機構の桐野理事長には「学者の世界では、文化勲章でももらわなければ、直にお話しできる機会などありませんよ」と冷やかされた。この時にもまず「鹿児島からですか」と、両陛下からお言葉をかけられたような記憶がある。
後で調べると木戸孝允の玄孫だという高齢の女官長が歩み寄ってきて、「鹿児島からですか。本当に遠いところからご苦労さまです。お帰りになられる時には是非とも東京見物などされて、お帰りになってください」などと言われた。皇居に長く住んでおられると、時間も空間も、明治時代の感覚とあまり変わっていないことに驚いた。
このようなことを話題にするきっかけになったのはPHP12月号に掲載されていた曽野綾子さんへの取材記事を読んだからである。曽野さんは現在84歳ということだが、「運命に逆らわず自然に生きる」という箇所が面白かった。
・・・命だってそうです。寿命という言葉はギリシャ語で「ヘリキア」と言いますが、これには寿命の他に「その職業に適した年齢」と「背丈」という意味もあるのです。どれも努力で変えたくてもどうしようもないものですね。その人に合った命の長さがある。ですから私は、六十歳以降は健康診断というものは一切受けていないんです。わざわざ病気を探し出して治そうとは思わないのです。
ただ病院に行くことはあるんですよ。ある時、ものすごく身体がだるいので近所のお医者さんにかかったら、軽い膠原病だとの診断でした。こんなことを言ったら同じ病気で苦しむ方には失礼かも知れませんが、あくまで私にとって膠原病はいい病気です。なにしろ「薬はない、医者もいない、一生治りません、でもすぐには死にません」とのことです。・・・
そして次の文章である。
・・・ですから、少々の不調はあきらめて付き合っていくしかないと思っています。そう考えれば気がラクです。これが「名医が一人鹿児島にいます」なんて言われでもしたら大変です。なんとか診て頂くのに、予約を取って鹿児島まで行かなきゃなりませんからね。・・・
ここでも「鹿児島」が遠い所という、名誉ある「たとえ」に使われているが、曽野さんもまさかこのような読まれ方をしているとは思わないだろう。関心のおもむくところ、注目箇所は、それぞれである。
