川嶋先生のご逝去(中)(2015/12/01)
18日はあいにくの雨模様だったが、通夜の行われる夕方には小雨に変わっていた。私は18時からの通夜の前に奥様とお話ししたいと考えて、病院を17時に出発して姶良町のJA葬儀社やすらぎに向かった。そして奥様と嫁さんとの3人で、遺影の掲げられた祭壇の前で故人を偲ぶことだった。
祭壇の遺影はいつもの普段着姿だったので、「先生は身なりには全く無頓着で、ネクタイ姿など珍しかったですね。時々、知らない人には守衛さんに間違われて大笑いしたこともありました。遺影はいかにも先生らしいです」と話すと、「本当にそのままでした」と奥さん。家庭園芸や山歩きも好きで、休みの日は霧島などに登り、花の写真など撮っていた。叙勲のお祝いの時には、出席者へのお土産は自分で撮られた花や山の写真だったような気がする。
「ヘルパーの研修や地域連携など、鹿児島県のために先駆的な仕事もたくさんされました。本当はもっと高く顕彰されてもいいかと思うのですが、このこともいかにも先生らしいですね」。
納棺された先生はやつれた表情はなく、元気そうにお見受けした。横にハイライトのタバコが置かれていたので、「タバコは止められませんでしたか」と訊ねると、「本当にねえ、一月ほど前まで喫っていましたし、酒も一週間ほど前まで飲んでいました。まあ、寝酒でしたが」。ご自宅で急に亡くなられたようで、思い通りに天寿を全うされたと言える。
65歳で退官されたのちは、5年間ほど日本赤十字社血液センターの所長をされていた。病院に来られることはほとんどなかったが、時にお会いすると「南九州病院もいい病院になりましたね。先生も全国的な活躍で、うれしく思っています」と、遠くからいつも激励してくれていた。
先生は臨床家、行政マン、病院管理者の三つを、完璧にやり遂げられたあっぱれな人生だったと評価できる。
通夜は18時から始められ、厳かで静かな家庭的な通夜だった。川畑副院長、園田部長、小倉部長、的場師長、久保さんなどの南九州病院関係や近所の方々が見えていたが、とりわけ白髪の高齢者が目立った。献花の中に、南九州医療福祉研究会を二人三脚で運営された福岡さん(現在ラ・ポール代表)の花束も目をひいた。虫の知らせだったのか福岡さんは亡くなる3日ほど前に病院を訪れ、そのまま川嶋先生のご自宅で結果的には最期の別れができたようである。
一昨日も南九州病院に患者さんのお見舞いの途中、先生の家の近くを通りながら、いろいろな思い出に頭を巡らしながらご冥福を祈ることだった。
明日は平成21年に南九州医療福祉研究会の終焉にあたって、記したものを一部改編して再録したい。先生が南九州病院に赴任されたのち、私と二人でボランティア介護大学、南九州医療福祉研究会の設立、介護保険に備えてヘルパー研修など、懐しい思い出である。
祭壇の遺影はいつもの普段着姿だったので、「先生は身なりには全く無頓着で、ネクタイ姿など珍しかったですね。時々、知らない人には守衛さんに間違われて大笑いしたこともありました。遺影はいかにも先生らしいです」と話すと、「本当にそのままでした」と奥さん。家庭園芸や山歩きも好きで、休みの日は霧島などに登り、花の写真など撮っていた。叙勲のお祝いの時には、出席者へのお土産は自分で撮られた花や山の写真だったような気がする。
「ヘルパーの研修や地域連携など、鹿児島県のために先駆的な仕事もたくさんされました。本当はもっと高く顕彰されてもいいかと思うのですが、このこともいかにも先生らしいですね」。
納棺された先生はやつれた表情はなく、元気そうにお見受けした。横にハイライトのタバコが置かれていたので、「タバコは止められませんでしたか」と訊ねると、「本当にねえ、一月ほど前まで喫っていましたし、酒も一週間ほど前まで飲んでいました。まあ、寝酒でしたが」。ご自宅で急に亡くなられたようで、思い通りに天寿を全うされたと言える。
65歳で退官されたのちは、5年間ほど日本赤十字社血液センターの所長をされていた。病院に来られることはほとんどなかったが、時にお会いすると「南九州病院もいい病院になりましたね。先生も全国的な活躍で、うれしく思っています」と、遠くからいつも激励してくれていた。
先生は臨床家、行政マン、病院管理者の三つを、完璧にやり遂げられたあっぱれな人生だったと評価できる。
通夜は18時から始められ、厳かで静かな家庭的な通夜だった。川畑副院長、園田部長、小倉部長、的場師長、久保さんなどの南九州病院関係や近所の方々が見えていたが、とりわけ白髪の高齢者が目立った。献花の中に、南九州医療福祉研究会を二人三脚で運営された福岡さん(現在ラ・ポール代表)の花束も目をひいた。虫の知らせだったのか福岡さんは亡くなる3日ほど前に病院を訪れ、そのまま川嶋先生のご自宅で結果的には最期の別れができたようである。
一昨日も南九州病院に患者さんのお見舞いの途中、先生の家の近くを通りながら、いろいろな思い出に頭を巡らしながらご冥福を祈ることだった。
明日は平成21年に南九州医療福祉研究会の終焉にあたって、記したものを一部改編して再録したい。先生が南九州病院に赴任されたのち、私と二人でボランティア介護大学、南九州医療福祉研究会の設立、介護保険に備えてヘルパー研修など、懐しい思い出である。
