Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

川嶋先生のご逝去(後)南九州医療福祉研究会の活動(2015/12/02) 

20年近く続いてきた南九州医療福祉研究会の活動が、この3月でひとまず終止符を打つことになる。病院にとっても地域にとっても有意義な活動であり、できることならこのまま存続させたいが、諸事情もあり苦渋の決断となった。この研修会の最大の成果は、日本の医療が病院から在宅へと大きく変わる時代に、その在宅ケアを担う質の高いヘルパーを大量に養成したことになる。鹿児島県の介護福祉や難病医療に果たした功績は、決して小さくはない。このような活動に対して、世間的な評価がもっとあっても然るべきかとも思うが、もともとこのような活動は地味なものであり、また川嶋先生もそれを望んで始めたわけでもなかった。
 この研究会は、国の高齢者保健福祉十カ年計画(第1次ゴールドプラン)がスタートして間もない平成 3年に発足した。厚生省の助成もあって、姶良郡医師会並びに同医師会の範囲内に所属する保健所・福祉事務所・市町村・国公立病院で構成し、総合的在宅ケアシステムを構築するための方略を探るための在宅ケアの実態調査から始まった。平成3年は、川嶋前院長がちょうど赴任された年でもあり、先生の長年の経験が随所に生かされた研究会だったといえる。
 まず医療・福祉の関係機関が協力し在宅でのケアを充実するためには、人材の育成が重要であるとの視点から、厚生省の助言や姶良郡医師会、鹿児島大学医学部リハビリテーションなどの協力を得て、在宅ケア実務者研修を開催した(現在の公開講座)。年に数回、姶良郡医師会館に出向いて、講義と実習をしたことも懐かしい思い出である。
 また平成5年頃からだったかと思うが、「ボランティア介護大学」なるものを開設した。当初は民生委員を主対象に始まったが、その後地域に輪が拡がり、家庭婦人から定年後の男性まで多くの受講者が参加してくれた。週一回(月曜日の午後)、二時間半の講義と実習で、計8回(20時間)で終了する。一期が2ヶ月ほどで、8期まで約230名が受講した。分担して素晴らしい教科書(150ページ)も作成され、医療、福祉、介護技術、心理、栄養、福祉制度など多岐にわたり、内容的にもレベルの高いものだった。その後、社会情勢の変化もあり、ヘルパー養成への機運も高まって、ヘルパー養成講座へと発展的に解消した。
 平成7年からは鹿児島県の指定を受けてホームヘルパー養成研修(2級課程)を開講、介護保険制度の発足前の平成10・11年度には、県の委託で1,2級課程ホームヘルパー養成研修を実施し、現在の研修体制に至っている。平成20年3月までに、1級課程 1,884名(看護師等研修免除を含む)、2級課程 1,627名、難病患者等ホームヘルパー養成研修では難病基礎課程Ⅱ637名、難病基礎課程1,390名の養成を行ってきた。いずれも凄い実績であり、鹿児島県下のホームヘルパーとかなりの人が、当研究会で研修を受けたことになる。  また平成5年には、国立療養所南九州病院は、国立病院として唯一在宅医療・看護が認められた(訪問看護部の創設)。在宅医療に関しては、昭和50年代からALSの在宅ケアがボランタリーに行われてきた実績もあった。そして平成6年からは、厚生省国立病院課に、「国立療養所における在宅医療推進のための研究班」が組織され、私が研究班長となり、全国の国立病院における在宅医療推進のリーダー的役割を果たすことができた。
 その他にもこの研究会は、鹿児島県重症難病医療ネットワーク協議会の事務局、難病支援検討会や重症難病に関する研修会など、多彩な活動を行ってきた。
 この研究会が長年にわたって質の高い活動ができたのは、川嶋先生の先見性と指導力に負うところが大きいが、事務全般を担当した福岡さんの類い希なる事務能力の高さも見逃せない。お二人の息の合ったコンビは、別府川沿いの花壇にも結実している。また病院看護部、事務部、リハ、療育室、栄養、そして医局に至まで、病院挙げての協力があっての活動ともいえる。さらに県庁や、鹿児島女子短期大学の久永教授にもアドバイスや支援をいただいた。
 今回、当初の目的の一つだったヘルパー養成の数量的な目途も付いたこともあり、終焉を迎えることとなった。名残惜しくもあり、鹿児島県としても貴重な財産を失うことになるが、いつの日か新しい形で再開できたらと願っている。
 川嶋先生、福岡さんの長年のご苦労に、敬意と感謝の気持ちを捧げたい。
 本当にご苦労様でした。