けしんかぎい きばります(2016/01/25)
ところで薩摩では、「げんねこちょ知らん」人以外に、「蔑まれる人」として「やっせんぼ」と「よかぶいごろ(格好ばかり気にする人)」という言葉がある。
「やっせんぼ」は、「あんワロは役(やっ)せんぼじゃ(弱虫)」という言葉も死語となりつつあるが、司馬作品を原作としたNHK大河ドラマ「翔ぶ(本当は跳ぶだと思う)が如く」の最初のシーン、「泣こかい とぼかい 泣こよかひっとべ」の精神で、物事は深く考えずにまず行動することを求められた。ひっとばないと、「やっせんぼ」というわけである。また昔の七高生に代表されるように、バンカラ気質が崇められ、「よかぶいごろ」も嫌われた。
先日、ミユキさんからのメールの中に、「けしんかぎぃきばります」という言葉に、東京の岡本さんがすぐに反応した。
「決心した限り頑張りますってことですか」、という質問である。後半の「頑張ります」の部分は正しいが、「けしんかぎぃ」は全く的外れである。鹿児島弁で「けしん」は「死ぬ」という意味なので、「死ぬほど、精一杯」頑張ります、という意味になる。
「また悦子から『福永先生を、がってて下さい』と書いてきたので、『なんじゃ』と聞いたら,『怒って、とか叱ってとかいうことらしい。『先生とお話ししたいのに、先生が指文字が分からないのでお話が出来ない』と悦子が残念がってたよ、もっと指文字の特訓をして下さい」というものである。
もう少し詳しく説明すると、南九州病院に入院している悦子は気管切開しているので声は出せない。ただ指先は動かせるので人差し指で手のひらに文字を書いてコミュニケーションの手段にしているのだが、私はこれがよくわからないのである。しまいにはお互いにイライラしてきて「も、よか!」という結末になってしまうことが多い。
また「Mさん(アッシャー症候群のために、盲、聾であるが、頭はすこぶるシャープな女性である)からも、以前『ひったまがりました』ときたけど,これは『びっくりたまげた』のことだとわかりました。鹿児島弁って面白いですね.10月に鹿児島へ行った時,照国神社の横にある黎明館に久しぶりに行って、ビデオで頴娃語の勉強をしてきました。でもさっぱりさっぱりわからんかった」そうである。
もうずいぶん前に県外からみえた友達を黎明館に案内した時に、私もこのコーナーに立ち寄った。県内のさまざまな場所の鹿児島弁が収録されていたが、とりわけ頴娃町の青戸地区で縁側に座ったオジサン二人がしゃべっている言葉を聞いて、私も驚いた。日本にもこんな言語があったのかと。ちなみに青戸地区は私が幼いころ住んでいた隣部落である。
「やっせんぼ」は、「あんワロは役(やっ)せんぼじゃ(弱虫)」という言葉も死語となりつつあるが、司馬作品を原作としたNHK大河ドラマ「翔ぶ(本当は跳ぶだと思う)が如く」の最初のシーン、「泣こかい とぼかい 泣こよかひっとべ」の精神で、物事は深く考えずにまず行動することを求められた。ひっとばないと、「やっせんぼ」というわけである。また昔の七高生に代表されるように、バンカラ気質が崇められ、「よかぶいごろ」も嫌われた。
先日、ミユキさんからのメールの中に、「けしんかぎぃきばります」という言葉に、東京の岡本さんがすぐに反応した。
「決心した限り頑張りますってことですか」、という質問である。後半の「頑張ります」の部分は正しいが、「けしんかぎぃ」は全く的外れである。鹿児島弁で「けしん」は「死ぬ」という意味なので、「死ぬほど、精一杯」頑張ります、という意味になる。
「また悦子から『福永先生を、がってて下さい』と書いてきたので、『なんじゃ』と聞いたら,『怒って、とか叱ってとかいうことらしい。『先生とお話ししたいのに、先生が指文字が分からないのでお話が出来ない』と悦子が残念がってたよ、もっと指文字の特訓をして下さい」というものである。
もう少し詳しく説明すると、南九州病院に入院している悦子は気管切開しているので声は出せない。ただ指先は動かせるので人差し指で手のひらに文字を書いてコミュニケーションの手段にしているのだが、私はこれがよくわからないのである。しまいにはお互いにイライラしてきて「も、よか!」という結末になってしまうことが多い。
また「Mさん(アッシャー症候群のために、盲、聾であるが、頭はすこぶるシャープな女性である)からも、以前『ひったまがりました』ときたけど,これは『びっくりたまげた』のことだとわかりました。鹿児島弁って面白いですね.10月に鹿児島へ行った時,照国神社の横にある黎明館に久しぶりに行って、ビデオで頴娃語の勉強をしてきました。でもさっぱりさっぱりわからんかった」そうである。
もうずいぶん前に県外からみえた友達を黎明館に案内した時に、私もこのコーナーに立ち寄った。県内のさまざまな場所の鹿児島弁が収録されていたが、とりわけ頴娃町の青戸地区で縁側に座ったオジサン二人がしゃべっている言葉を聞いて、私も驚いた。日本にもこんな言語があったのかと。ちなみに青戸地区は私が幼いころ住んでいた隣部落である。
