Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

お正月(前)(2016/01/12) 

今年の正月は本当に温かい日が続いた。元旦は4月上旬の気温だったというから、温かいはずである。
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ今日(きょう)こそ たのしけれ
 正月になるといつも思い出される歌で、今年は病院の年始の挨拶にも使った。この歌のタイトルは「一月一日(いちげついちじつ)」というものだったことはつい忘れてしまっていたが、「戦前には正月に登校して、元旦拝賀式の奉唱歌として歌い続けてきたもの」と書かれている。
最後の「たのしけれ」ではないが、昭和の、それも20年代、30年代の正月は、子どもたちにとって「特別な日」であり、本当に楽しいもので「もういくつ寝るとお正月」という唱歌そのままの気分だった。
1月6日の南日本新聞に「素朴に心から笑えたお正月」というタイトルで、作家の佐藤愛子さんが年始エッセイを寄せている。佐藤は1923年生まれだというから、今年93歳ということになる。
佐藤と親しかった遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介など同世代の作家はみんな物故者になってしまったが、やはり女性は強いのかまだ健在という訳である。
書かれている全ての内容に同感し、「本当にそうだったよね」と懐かしく思いだしながら読むことだった。そのまま抜粋する。
 「子供のころ、何がうれしいといってお正月ほどうれしいことはなかった」に始まる。
「お正月はふだんの日とは違う特別な日なのだった。すべてが新しく改まるのだ。だからおとなも子どももみんな機嫌よくめでたがっていなければならなかった。私にとってうれしいことの一番は、ふだんは着せてもらえない晴れ着を着せてもらえることだった。晴れ着を着て表に出ると、道路はどこもきれいに掃き清められている。家々の門前には門松が立ち国旗が出されていて、緑の門松と日の丸の白と赤が朝の光を受けて道筋を真直ぐに彩っている様子は、子供心にもいかにもすがすがしく美しく感じられたものだった」。「私は誰かに晴着を見せたくて、道を行ったり来たりする。すると同じような気持ちの晴れ着姿の友だちに出会う」「そうしてあのすがすがしい、質素で、静かな明るさに満ちていた私のお正月は遠くへすたったきりもう二度と戻って来はしない。私は老い、時代は変わった」。「友だちはまた、孫が『福笑い』の何が面白いのだ、といったことに憤慨する。確かに『福笑い』は面白くないゲームかも知れない・・・しかし昔の子どもはそれを見て笑いこけたのだ。しみじみ私は思う。あのころの私たちはどうしてあんなに笑ったのだろう?おそらくそれは『お正月』だったからだ。お正月は『たのしいもの』
『うれしいもの』だったから、だからどんなことでも笑った。素朴に心から笑えたのだ」。