鹿児島難病支援ネットワーク5周年記念(前)(2016/02/17)
・・・私は毎週、難病相談・支援センターに来るたびに、センターの隣の患者会ネットワークの部屋にお邪魔しています。事務局の水主さんの美味しいコーヒーを頂きながら、ピピアカウンセリングのために来られている患者会の方々といろいろなことについてお話しできることを楽しみにしております。その時いつも思うことですが、どの患者会も多くの方のボランティア精神というか、奉仕の精神で支えられているということです。お互いの協力で成り立っている組織です。
昨年1月に成立した難病法では、理念として「共生社会の実現」ということを挙げました。日本の成熟した社会にあっては、患者さん、そしてご家族は勿論のこと、現在は健康な人も含めて、社会を構成している全ての人たちがみんなで「共に生きる」社会を実現していこうということが、先日亡くなられた金澤先生(難病対策委員会委員長)の御意志でもありました・・・
2月11日にハートピアかごしまで開催された「かごしま難病支援ネットワーク設立5周年記念大会」での私の来賓あいさつの一部である。
大会は13時から開催され、会長の黒木会長の挨拶の後、県保健福祉部次長の大坪さん(伊藤知事の代読も含めて)、県医師会長の池田先生、そして私の挨拶と続き、その後「かごしま難病支援ネットワーク活動報告」が行われた。(この模様は、MBCテレビのニューズナウの藤原さんが自ら取材にも来られて、その夜に放映されたということだが、見過ごしてしまった)。
まず第一部は副会長の里中さん(日本ALS協会鹿児島県支部事務局長)から「(2013年2月11日に設立されるまで)」と題して、ダイナミックな報告が行われた。
今やセンターと患者会は車の両輪のようなもので、「かごしまモデル」と称されるようなネットワークにある。ところが鹿児島県の難病の歴史をひもとくと、当初は悲惨な状況で、平成16年から17年にかけて全国各県で難病相談支援センター(相談支援員も含めて)が設立されたが、財政難ということもあってか鹿児島県では県庁の健康増進課の一画に、専属の相談員もおかずに併任というような形でお茶を濁してしまった。さらに難病訪問を行ってきた保健師が79人も減らされてしまった。ALS協会鹿児島県支部では「自分たちの患者会だけでは、行政に声は届かない」と、いくつかの患者会に呼び掛けて「鹿児島の福祉をいけんかすっ会」(2007年12月19日)を設立した。
2008年には「保健師が保健師しかできない仕事に従事できるための署名活動」を行い、11445人の署名(請願書)を伊藤知事に提出した。
もっともショックを受けた出来事は、2009年3月20日に沖縄県で開催された「難病相談研究大会」に、現会長の黒木さんと出席した時だったという。「他県の発表を聴いて、鹿児島県との落差に驚き、一晩残念の涙を流した」そうである。
その後、マスコミ報道の後押し(特にMBCニューズナウの藤原さんが何度も取り上げてくれた)や県議会議員の後押し、県行政職の綿密な調査などもあって、伊藤知事が議会で「難病相談・支援センター」の設立を約束してくれた。
そして2011年10月1日、難病相談・支援センターの開所式(職員数12人、うち正職員7人)が行われ、ネットワーク(患者・家族会)の方も20団体が加入されるまでになっている。
昨年1月に成立した難病法では、理念として「共生社会の実現」ということを挙げました。日本の成熟した社会にあっては、患者さん、そしてご家族は勿論のこと、現在は健康な人も含めて、社会を構成している全ての人たちがみんなで「共に生きる」社会を実現していこうということが、先日亡くなられた金澤先生(難病対策委員会委員長)の御意志でもありました・・・
2月11日にハートピアかごしまで開催された「かごしま難病支援ネットワーク設立5周年記念大会」での私の来賓あいさつの一部である。
大会は13時から開催され、会長の黒木会長の挨拶の後、県保健福祉部次長の大坪さん(伊藤知事の代読も含めて)、県医師会長の池田先生、そして私の挨拶と続き、その後「かごしま難病支援ネットワーク活動報告」が行われた。(この模様は、MBCテレビのニューズナウの藤原さんが自ら取材にも来られて、その夜に放映されたということだが、見過ごしてしまった)。
まず第一部は副会長の里中さん(日本ALS協会鹿児島県支部事務局長)から「(2013年2月11日に設立されるまで)」と題して、ダイナミックな報告が行われた。
今やセンターと患者会は車の両輪のようなもので、「かごしまモデル」と称されるようなネットワークにある。ところが鹿児島県の難病の歴史をひもとくと、当初は悲惨な状況で、平成16年から17年にかけて全国各県で難病相談支援センター(相談支援員も含めて)が設立されたが、財政難ということもあってか鹿児島県では県庁の健康増進課の一画に、専属の相談員もおかずに併任というような形でお茶を濁してしまった。さらに難病訪問を行ってきた保健師が79人も減らされてしまった。ALS協会鹿児島県支部では「自分たちの患者会だけでは、行政に声は届かない」と、いくつかの患者会に呼び掛けて「鹿児島の福祉をいけんかすっ会」(2007年12月19日)を設立した。
2008年には「保健師が保健師しかできない仕事に従事できるための署名活動」を行い、11445人の署名(請願書)を伊藤知事に提出した。
もっともショックを受けた出来事は、2009年3月20日に沖縄県で開催された「難病相談研究大会」に、現会長の黒木さんと出席した時だったという。「他県の発表を聴いて、鹿児島県との落差に驚き、一晩残念の涙を流した」そうである。
その後、マスコミ報道の後押し(特にMBCニューズナウの藤原さんが何度も取り上げてくれた)や県議会議員の後押し、県行政職の綿密な調査などもあって、伊藤知事が議会で「難病相談・支援センター」の設立を約束してくれた。
そして2011年10月1日、難病相談・支援センターの開所式(職員数12人、うち正職員7人)が行われ、ネットワーク(患者・家族会)の方も20団体が加入されるまでになっている。
