Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

ビワにまつわる話(後)(2016/03/25) 

この絵日記の表紙には「ひとりごと」というタイトルと、麦わら帽子をかぶった少女が猫と一緒に草むらに座っている様子が水彩画で描かれていた。最後のページには、「福永先生へ、誕生日を記念してゆかりのひとりごとをまとめてみました。差し上げます」と書かれており、日付は1978年2月24日、14歳と記されていた。
「ひとりごと」は14の小さな物語で構成されており、それぞれに色鮮やかな水彩画が添えられている。自分の部屋からみることのできる雲、虹、お母さんが買ってくれた壁掛け人形、もらった子猫やインコ、フランス人形のことなど、身の回りの小さな出来事が描かれている。水彩画には「ゆかり」さんの自画像らしき可愛い女の子が描かれているが、「おでかけ」ではお父さんが車イスを押しておられるが、他の絵はすべて自らの足で立っている。ちょっと不憫な気持ちになるが、歩けなくても心は健康な子どもだったに違いない。
おでかけ(ゆかりさんの「ひとりごと」から)
七月十五日 ひさしぶりのおでかけ 車に車椅子つんで さあ 出発
海も空も真っ青 窓からはいる風 とっても気持ちいい
わあ きれい わあ 広い ずいぶんひさしぶりだなあ 
前はおとうさんにおんぶされてきたなあ
自分でえらんで青い服買った 前からほしかったファシーボトル買った
おとうさん おかあさん また行こうよ
 ちょうど40年前の出来事になるわけだが、不思議とよく覚えている。春まだ早いのどかな田園風景、黄色く色づいたびわの実、腰掛けて絵日記を書いている少女・・・
ところでこのビワはバラ科の植物で中国南西部が原産で、日本には古代に持ち込まれたということである。英語辞典ではJapanese medlar(日本の西洋かりん)とも書かれており、アメリカには生育していないようだ。20年ほど前にメイヨークリニック(米)のロドリゲス夫妻が日本に来られた時に桜島を案内したことがあった。ロドリゲスは現在では多発性硬化症の分野では大家になっているが、私が米国にいた頃はレジデントで、同じヤードに住んでいた。桜島の街道沿いにはたくさんのビワを見ることができたが、彼らには初めて見る植物のようで、「あれは何と言う果物だ」と質問されたことがあった。
ビワを食べるときに思うのは、種子がやたらと大きくて比較して果肉は少なくて食べにくく、品種改良というものがほとんど施されてこなかったのではないかと思うことである。故郷の田舎の庭先にもビワの大木が植えられていたが、当時の食べた味とほとんど変わっていない。長崎県が全国のビワの三分の一近くを生産しており、鹿児島県も千葉県と並んで産地の一つだという。そういえば南九州病院時代に行き来した10号線の白浜の集落にも、錦江湾に面した斜面にびわの木がたくさん植えられており、春先になると白い袋が一斉にかけられているのを目にすることがあった。