Blog前南風病院院長 福永秀敏先生の雑感

輝咲の会(後)(2016/03/04) 

思い返してみれば平成10年以降、福寿司は私にとっての「東京社交場(筋ジス研究班で一緒に研究していた河原先生に紹介されたのが始まり)」みたいな場所で、 毎朝発信している「院内ラン」と共に実に多くの方々を結びつけてくれたのである。席を移して、穴見翠さん(厚労省で特定看護師の問題を扱っておられるという)と、 秋元篤史さん(厚労省労働基準局安全衛生部)の所に挨拶に行く。秋元さんとは今夜が初対面だったが、見るからに爽やかな好青年で富山県の生まれで高校までは野球少年だったという。 金沢大学工学部を卒業されて当時の労働省に入省、縁あって昨年穴見さんと結婚された。私は穴見さんとは医療安全の嶋森好子さん(東京都看護協会長)つながりで、 随分前に穴見さんを福寿司に紹介し、貴志さんとのご縁もできた。縁は広がるもので、穴見さんがラオスに公衆衛生向上のために派遣されたときには、 貴志さんの友人の横田順子大使(この方も福寿司に来られていた)と親しくして頂いたという。穴見さんは大分県竹田市の出身で、東京医科歯科大学の看護学部を卒業されている。
同じ医科歯科大学の看護学部の卒業生の、中山優季さん(東京都神経科学総合研究所)もこの会に初めて出席されていた。中山さんとは先日鹿児島で行われたSEIQoLの講習会でご一緒したが、 この7月には河原先生との共編者で医学書院から「患者の快を支える難病ケア」という相当変わった著書を出版予定だという。私も雑文を寄稿したが、 きっとその出版記念会もここで開かれることになるのではないだろうか。
今夜は都城出身の福地亨子さん(私の鶴丸高校の同級生で、「銀鱗文庫」事務局長かつライター)は出席されていなかったが、同じ都城出身の藤元ご夫妻に初めてお会いできた。 ご主人の拓志さんは会計士で、貴志さんとのつながりが深いようだ。奥様の久美子さんは星塚敬愛園付属看護学校の出身で、現在も看護師として働かれている。 都城を中心にしたローカルな話題に花が咲く。またやはり福寿司や貴志さんつながりの山田弁護士の義弟の早川明仁さん(リンクサポート代表取締役)とも初めてお話をする機会をもてた。
この夜も貴志さんは写真撮影に忙しかったが、奥様の信子さんとはカウンターでゆっくり話ができて新事実がわかった。数年前にくも膜下出血を患ったが、 幸運が重なって何の後遺症を残すことなく全快されている。娘さんの菊池絵梨子さん(東京医科歯科大学の腎臓内科医で、 日本全国を対象とした腎臓領域研究で優れた若手研究者に贈られるYIA(Young Investigator Award)を受賞されている)が、 くも膜下出血を発症したときにたまたま一緒におられて救急搬送することができた。私はこの時にその病院に東大から派遣されていた脳外科医のコイル塞栓術が奏功したものと理解していた。 実際には当初は出血部位が判らず(ご本人はずっと意識があり、やり取りを不安げに聴かれていたという)、やっと2週間ほどしてからコイル塞栓術は施行されたのだという。 私の父も61歳でくも膜下出血のために急逝していることもあり、この病気には個人的に関心が深い。
またこの夜は、プロレスラーの矢口壹琅さん(アメリカバークリー音楽大学ジャズ作曲科卒)も出席してくれていた。 河原先生は矢口さんとは長い付き合いがあり、もう十年以上前に、当時NHO松江病院に入院していた石黒君(ポンペ病)がポンペ病に対する酵素補充療法の日本での適用を求めて矢口さんと ライブ演奏を行い、鹿児島でも公演されたこともあった。矢口さんの話では、その石黒君は合併症も重なって現在重篤な状態のようだ。 この時のイベントの委員長を務めた南九州病院の筋ジス患者の宮田誠君も今はこの世にいない。なお矢口さんは最近、NHKの大河ドラマ「真田丸」に出演されたという。 人は見かけによらないものという言葉は矢口さんにピッタシで、これほど優しいプロレスラーはいないのではないだろうか。
話は尽きなかったが、私はこの夜、京急羽田線の大鳥居駅近くの東横インに宿泊予定だったので、21時頃にはお開きにすることになった。 大澤さんからはいつものように美味しいカッパ巻きなどのお土産をいただき、鹿児島に帰ってから日曜日の昼・夕食とかみしめるように味わった。 貴志さんからは、翌日次のようなメールを頂いた。
「福寿司・輝咲の会」のデジカメ写真を添付ファイルで送信しました。このような素晴らしい時間と場をまた近いうちに持てたらと思っています。 これからもよろしくお願いします。(今回出張などで参加できなかった新井さん、中島教授、福地さん、山田弁護士、菊池夫妻には次回は是非参加して頂ければと思っています。)